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トルコ~カッパドキアの洞窟ホテルでWorkaway~

皆さん、お元気ですか。私は11月初めに3ヶ月滞在した中央アジアを抜けて、今はインドのバラナシというヒンズー教の聖地に滞在しています。ここはインドでも特に伝統の暮らしが残る場所で、街は美しい民族衣装を着た人に溢れ、道には至るところにゴミと牛の糞が落ち、泊まっているホテルから300メートル離れた河川敷では毎日昼夜を問わず350~400体もの遺体が火葬されて、その灰がガンジス川に流されています。その横では人が川で洗濯物を洗い、沐浴したり歯磨きしたり。何年も前から本で読んで知っていたことだけど、実際見ると圧倒されます。

インドに来てから大分健康状態もよく、着いて早々最下層クラスの夜行列車で長距離移動したり、地元の食堂でごはんを食べても何でもなかったのですが、5日目くらいにちょっとお洒落なカフェでパスタを食べたら急に「インドの洗礼」に見舞われて今までの人生で記憶にないほどの下痢と嘔吐と発熱にうなされました。本当に死ぬかと思った!昨日の晩からちょっと回復したので、この時間を利用して更新を怠っていた日本語版ブログを翻訳することにしました。(がんばって書いているので左横の「世界一周ブログランキング」のバナークリックお願いします。)今日は7月にトルコの洞窟ホテルで働いた時の話です。

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チャイナ差別を受けたものの、最後には人の優しさに包まれたメルスィンの街からバスでカッパドキアに向かった。カッパドキアとは中央アナトリア地方に位置する、きのこ岩と呼ばれる奇岩や初期キリスト教徒が住んだ洞窟住居跡が有名なトルコ屈指の観光地である。宿代が高く行くのを迷っていたので、洞窟ホテルのWorkaway(タダ働きする代わりに宿代と食事代を免除してもらう)に採用してもらえて助かった。

洞窟ホテルのオーナー、トルンさんはWorkawayのプロフィールにグリーンピースの熱心な活動家であると書いていたので、日本の捕鯨問題なんかについて追求されたら面倒くさくて嫌だと思っていたが、実際会ってみるととても穏やかで優しい紳士だった。日本語も仕事のために独学で学んだので、簡単な会話は日本語で交わした。もう二ヶ月以上日本語をしゃべっていなかったのでとても不思議な感じがした。
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トルンさんの洞窟ホテルはウチヒサルという小さな町にあって、観光客でごったがえすギョレメとは違い、静かで落ち着いた雰囲気だった。ホテルに入ると、同じくWorkawayで来ていたアリョーナというロシア人の女の子が部屋に迎え入れてくれた。二人とも仕事内容はトルンさんのウェブサイトの翻訳だった。着いた時はもう夜中だったけれどトルンさんはホテル、といっても全3部屋しかないロッジを簡単に紹介してくれた。

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シャワーの使い方やタオルを干す場所などの説明を受ける延長線上で、トルンさんはトイレの横にあった木製の扉を開けた。リネンを収納する棚かと思って見ていると、頑丈な鉄の鍵が二つ開いて、目の前にトンネルが現れた。トルンさんは、「これは初期キリスト教時代に作られた秘密の地下道に続くトンネルです。彼らが迫害を逃れるために避難していたところです。右に3キロ、左に5.5キロ続いています」と、まるでコーヒーマシンの説明でもするかのように何事も無く言った。もしかしたら自分の期待を遥かに超える場所にやってきてしまったかもしれない、と私は思った。

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翌朝目を覚ますと、ベッドにアリョーナの姿はなく、台所で朝ごはんの準備をする音が聞こえた。アリョーナが食事を作る間、トルンさんは夏の間だけアルバイトで手伝いに来ているスレイマンさんという高校生を紹介してくれた。もうラマダンが始まってから2週間以上経つものの、断食をしている人を見たのはスレイマンさんが初めてだった。その後カッパドキアをヒッチハイクで周って気が付いたことは、この地域には敬虔なイスラム教徒が多く、真剣にラマダンに取り組んでいる人がとても多いということだった。彼らは私がお礼に差し出した果物やお菓子さえ決して受け取ってはくれなかった。

朝ごはんにはアリョーナが焼いてくれたギョズレメという、塩辛いヤギのチーズをトルコ風のクレープに包んだものを食べた。アリョーナは昨日ロシア人であると名乗ったけれど、他の多くの「ロシア人」の友達と同じように実はウクライナ出身だった。子供の頃に家族とモスクワに移住して過去三年間はフリーの翻訳の仕事をしているらしい。彼女の夢はドイツの大学で医学を学んで宇宙で働く医師になることだった。彼女は努力家で、旅をしている間も翻訳の仕事を請け負いながら稼ぐ他にドイツ語の勉強をしてオンラインで医学のレクチャーを受けていた。宇宙医師というのも真剣な目標なのだろう。年も同じ28歳で、ユーモアのセンスがあって思いやりのあるアリョーナに私はすぐに打ち解けて、なんでも一緒に行動するようになった。

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お互い料理をするのが好きで、調理から片づけまで毎食手伝いあいながら手際よく作業した。私にとって同じ女性の旅行者とこんなに仲良くなるのはだいぶ特別なことだった。まず、長期旅行の女性はとても少なく、多くが彼氏や旦那と一緒だった。時々出会う独り者は自分と同様アクの強い女ばかりで、親しくなることは稀だった。

トルンさんに与えられた翻訳仕事は量が多かったので、終わらないのではないかという不安から最初の2日間は一切外に出ず朝から晩まで作業に明け暮れた。アリョーナも同じ部屋で黙々と働いていて、二人とも同じ仕事を頑張っているんだという思いが私を更にやる気にさせた。彼女の存在は良い刺激だった。時々、この翻訳の仕事って普通のWorkawayでよくやる掃除や給仕よりも遥かに大変で時間がかかるじゃないかと後悔しながらも、私はここでの仕事に楽しく取り組んだ。アリョーナは文句を言わなくて偉いなと思っていたら、そのうち彼女が自分がやっているのとは違う、仕事量の少ないウェブサイトを翻訳していることが判明した。

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2日間こもって働いた次の日の夕方、アリョーナがウチヒサル村を案内してくれた。ホテルから5分歩いたところに「スモールキャッスル」と呼ばれる洞窟住居があった。洞窟の中には、鳩を飼っていた名残の小さな穴が規則正しく並んでいた。カッパドキアの人々は鳩の糞を畑にまく飼料にしていたそうだ。私は初期キリスト教時代の歴史とロマンをそのまま封じ込めたような住居跡と、中央アナトリアの美しい風景にすっかり魅せられた。日本人観光客にやたらと人気なのもよく分かる気がした。確かにそれだけ素敵なところなのだ。

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その次の日は作業をいったん休むことにして二人で昼からハイキングに出掛け、ウチヒサル村とギョレメを結ぶピジョン(鳩)渓谷を歩いた。世界遺産に登録されている割に遊歩道の整備はずさんで、歩くと表面が削れてパウダー状になる石灰岩の道はつるつると滑り、歩くのが大変だった。私はまるで老婆のようにアリョーナの手を借りて歩いた。

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ピジョン渓谷には驚くほど多くの種類の野生の果物が生っていた。りんご、杏、プラム、桑の実、イチジク、葡萄、オリーブなどの木がたわわに実をつけて咲いていた。果物の木を見つけるたびにおやつ休憩をしていた私たちはおかげで何時間歩いてもお腹が空かなかった。渓谷では人が作った畑もたくさん見かけた。農夫たちはありとあらゆる野菜や果物の種を植えて、ほとんど全てを自然の手に委ねて育てたようだった。その証拠にカッパドキアで過ごした10日間の間一度も畑で働く人の姿は見かけなかったが、作物は水やりも一切なしに大きく育っていた。後で調べたところによると、この土地は火山灰がつもって出来たことにより、土が豊かでまた長い時間水を保つことが出来るらしい。その上キリストの時代以前から鳩の糞を肥料に使っていたことにより、土壌が更に豊かになったそうだ。

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私たちはその翌日も仕事を放棄して朝からヒッチハイクで少しはなれた村まで行き、また新たなるトレッキングに出発した。その日最初の運転手はトルコ南東部で教師をしているというクルド人のドライバーで、完全なる狂気を帯びた彼の車は120キロの時速で反対車線を何度も走った。ようやく車を降りた時は命があることに感謝せざるをえなかった。

その次乗せてくれた人はムスタファパシャという小さな村でレストランとホテルを経営している若いお父さんだった。招かれて寄ってみると、ホテルは昔ギリシャの商人の家族が住んでいたという歴史ある建物で、中にはフレスコ画や古い内装がそのまま残るロマンチックな洋館だった。若いお父さんは中を案内してくれた後お茶をご馳走してくれて、その上今度は昼ごはんを出すから食べにおいでと言ってくれる、おもてなしにあふれた優しい人だった。レストランの壁にはここを訪れたトルコの俳優の写真やアメリカのカリスマ主婦マーサ・スチュワートがここで自分のテレビ番組を収録した時の写真が飾ってあった。

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ヒッチハイクが初めてで懐疑的だったアリョーナはすっかりこの新しいアクティビティの虜になった。「すごいね。ただバスに乗って移動するのとは全く違う。移動自体が出会いと発見につながるんだね。」私は最近は一人でヒッチハイクするのに消極的だったのでパートナーが見つかって嬉しかった。

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そして3台目の車に連れられてようやくゴメダ渓谷の入り口に辿り着いた。ゴメダ渓谷はトルンさんが教えてくれた観光客皆無の渓谷で、最初に言っておくと私の短いトレッキング人生の中でひときわ輝く体験ができたところだった。全部で3~4時間くらいのそのトレイルは全行程を通じて私たちに新しい驚きと発見をもたらしてくれた。何もかも言葉にならない、目の前に現れるものが現実じゃないような、奇妙な異世界に来たようでゴメダ渓谷の風景には何度も鳥肌が立った。突然現れる色鮮やかな壁画や、圧倒されるほど大きな洞窟住居を見るたびにどこか遠くから奇妙な太鼓のリズムが聞こえてくるようだった。そしてこの深い渓谷の中で観光客の影すら一度も見かけることはなかった。

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ゴメダ渓谷を歩き終えた私たちはさらに4キロほど畦道を歩いてオルタヒサル村まで歩き、そこからミニバスでホテルに帰る事にした。夕暮れ時にようやくオルタヒサル村に到着するとちょうど太陽が水平線に沈むところで村の景色をピンク色に染めた。それにしても何て充実した良い一日だっただろう。果物売りのおじさんのトラックに乗せてもらえて、その晩は犬のようにぐっすりと寝た。

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それからも私たちは毎日仕事を終えてから違う渓谷へ繰り出した。数え切れないほどの洞窟住居に入り、初期キリスト教徒たちが隠れて礼拝した洞窟教会を探検した。ギョレメでトレッキングした日にはロシアから来たミミとマックスのカップルに出会い一緒に歩いた。その日はピンク色の石で有名なローズバレー渓谷を目指す予定が、地元人の間違った道案内により結局全然違う場所に辿り着いた。トルコ人はちょっと怠惰なところがあり、何キロも自分の足で歩くなんて考えられないと思っている人が多いので、「無理だよ、無理無理。君たちに15キロ以上も歩けるわけがないじゃないか」と言って勝手に違う道を歩くよう勧めてくるので迷惑だった。

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トルコのみならずイスラム圏の人々は本当に歩くのが苦手なようだった。自分にとって2~3時間歩くのなんて何でもないし、特にハイキング目的で来たならば5~6時間歩かなければやった気がしない。でも彼らにとってそんなの拷問以外の何物でもないようだった。どこへでも車で行き、滅多に自転車にすら乗らない、これがイスラム圏の人々の特徴だった。ある日私が一人で人里離れた渓谷を歩いていると、ツーリストを乗せたトラックが私の前で止まり、中からトルコ人のガイドが出てきてこんな所を一人で歩いていて毒蛇に襲われたらどうするんだいと言った。そんなものはしかし居ないのである。トルコ人の常識に基づいてハイキングの邪魔をされるたびに鬱陶しくてたまらない気持ちになった。

アリョーナが疲れていた日は自分ひとりでも毎日出掛けたけれど、ゴメダ渓谷のトレッキングを越える体験をすることは出来なかった。

また一人でヒッチハイクした時には悪いドライバーにあたり、結婚しているのかと聞かれたあと全身を舐めるように見つめられ頬っぺたを触られそうになったことがある。気味が悪くなったので道の途中で降りて、それから同じ質問をされた際には夫と家族が目的地で待っていると嘘をつくようにした。

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岩窟教会は素晴らしかったもののその多くは保存状態が悪く、唯一鮮明に残っているのはフレスコ画に使われた絵の具の色だけだった。それにしても信仰の力が、人にただの岩をくり貫かせて美しい建物を作らせてしまうというのはすごいと思った。

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私にとってカッパドキアでのもう一つの楽しい体験はキリムを買ったことだった。去年イランのシーラーズで一枚購入してから、その温もりを感じさせる美しい織物の虜になってしまった。トルンさんからはカッパドキアはぼったくりの店が多いから、ここで買うのはよくないよと助言されたもののウチヒサル村を歩いて良心的な価格の店を見つけた。

アリババカーペットというその店では、この二つのキリムを300トルコリラ(12,000円)で購入することが出来た。最初に提示された価格は700リラだったので二日通って値段交渉した。トルコで買い物する際には、商人に個人的に気に入られないことには値引いてもらうことは出来ない。トルコ語をたくさん覚えたので少しは親近感を持ってもらえたのだろうか。普段土産物を一切買わない私もこの時ばかりは自分を抑えることが出来なかった。

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滞在が10日を過ぎたところでアリョーナと私はトルンさんに別れを告げて、バスでカイセリという都市に向かい、そこから列車でエルズルムというトルコ東部で一番大きな都市に向かうことにした。本当はカッパドキアにもっと長く滞在したかったものの、仕事を終えて用のなくなった私たちよりもお金が入る観光客を泊めたいというトルンさんの意思が見え隠れしたことにより私たちはホテルを出ざるを得なかった。

最初はもっと長く滞在してもいいよと言っていたトルンさんも、言葉と行動に差が出るようになり最後は滞在の延長を断られた。もっともトルンさんがこういう態度を取ることは初めてではなかった。自分の本音を言わずに態度で示してくる姿勢は日本人のようだった。そして何もかも正直なトルコ人の中で、トルンさんの表裏ある性格は少し妙に感じた。でも私はあまり文句を言える立場にはない。だってトルンさんが居なかったら自分のお金でカッパドキアの洞窟ホテルに滞在することなんて出来なかった。

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村からカッパドキアの中央バスターミナルまで向かうバスは出発が大幅に遅れて、私たちは路上で1時間以上待ちぼうけを食らった。ようやく現れた小さなシャトルバスは超満員でその上交通渋滞に巻き込まれてしまった。何かのきっかけで怒ったトルコ人の乗客が運転手を怒鳴りつけ、そこから大喧嘩が勃発した。トルコ人というのは自分の気持ちを抑えることができないらしい。やっとカイセリ行きのバスに乗り込むと、赤ん坊を抱いた若い母親がアリョーナの席にどっかり座り、アリョーナがチケットを見せると「それはフェイクだ」と一蹴した。結局はバス会社によるダブルブッキングだったものの、若い母親の態度は横暴で私たちの気持ちは晴れなかった。

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カイセリからは列車の駅までバス会社が用意してくれた無償のシャトルバスで移動した。バスに乗ってから私はアリョーナの横顔をじっと見つめ、彼女が一緒にいてくれて良かったことに感謝した。アリョーナも全く同じ気持ちだと言った。私は何週間も誰かと一緒に旅することは滅多にないけれど、気が合う相手の場合は一人で居るよりも何倍も旅を楽しめた。旅の一番楽しかった思い出を振り返ると、それはやっぱり誰かと共有した出来事ばかりだ。

まだ列車が発車するまで時間があったので、駅の近くのファストフード店に入り真夜中に二人でまずいスープを啜った。これから乗る夜行列車がまるでお泊り会のように思えてきて、私は一人で子供のように嬉しい気持ちになった。この興奮は実際列車に乗りこんでみてそれが寝台ではなくただの椅子であることが発覚するまで続いた。

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