トルコ~トルコ最高峰アララト山とクルディスタンでの記憶に残るヒッチハイク~

私とアリョーナはエルズルムを後にして、トルコ最高峰のアララト山を目指すことにした。仲良くなったカウチサーフィングホストのオマールとの別れが惜しかったので忙しい彼を無理いって誘い、3人で行くことにした。

しかし何もかもついていない日とはあるもので、まずアララト行きのバスが前日夜にキャンセルになり、代行のバスが当日の朝7時に突然出発時間を変えたせいで大急ぎで乗ったタクシーにぼったくられた。そしてバスの到着は2時間遅れ、アララト山麓の町ドーベヤジットに着いた瞬間記録的豪雨に見舞われた。本当にバケツをひっくり返したような物凄い雨が一時間以上続いた。それに加えてオマールの帰りのバスが着いて1時間後の1本を除くと明日まで無いことが判明し、結局オマールはアララト山を見ないままとんぼ返りでエルズルムに戻るハメになってしまった。彼の人生でも類を見ないほど不運な日であったことは間違いないだろう。

ドーベヤジットで私たちのカウチサーフィンホストを引き受けてくれたのはジャビットとディデムという、結婚したばかりの若いクルド人夫婦だった。ドーベヤジットはトルコの東のどん詰まりといったところで(現に何キロか先はもうイラン)、街は裏さびれて何も無く、舗装が割れた道にできた水溜りや色褪せた商店のシャッターに貧困の影を感じた。

こんなに暗い街でもジャビットのアパートの中は別世界で、きれいな家具で飾られた広い新築のアパートは最高の居心地だった。ジャビットは数年前まで北キプロスでITエンジニアをしていたが、今はアララト山のツアーで生計を立てていると言った。外国人がトルコの軍事基地としての役割も果たすアララト山に登るには特別な許可証が必要で、それに更にガイドやポーターが必要になるためかなり大きなビジネスになっているみたいだ。

IMG_6139IMG_6338

ジャビットの奥さんのディデムはトルコで出会った女の人の中でも特別美しく、女の私たちでも見惚れてしまう輝きを放っていた。写真がないのが悔やまれる。しかもディデムは私たちのために昼ごはんまで用意してくれていた。美味しいご飯をご馳走になった後はジャビットとその友達がイサークパシャという、1785年に建てられたオスマン朝の宮殿に見学に連れて行ってくれた。

IMG_6109

宮殿へ向かう途中、豪雨が止み雲が消えて巨大なアララト山が目の前に姿を現した。聖書に出てくるノアの箱舟が辿り着いた場所として知られるこの山の標高は5137メートル。去年初めてアルメニアの首都エレバンから遠目に見て以来、ずっと行ってみたいと思っていた。敬虔なキリスト教徒であるアルメニア人たちにとって、この山はとても特別な山で、かの国ではパスポートのスタンプからコニャックのロゴまで何から何でもこの山があしらわれていた。頂上に雪の王冠をかぶったその姿は富士山にも似ていて、この山を心の拠り所にするアルメニア人の気持ちが良くわかる気がする。

でもトルコとの戦争でアララト山を含む西側の領土を奪われ、今でも二カ国間の争いが続いているためアルメニア人がアララト山を訪れることは出来ない。アルメニア人が心から愛し民族の象徴とするこの山は、トルコ人にとっては東の果ての不毛地帯以外の何物でもなく、名前すら知らない人も多い完全に忘れ去られた存在だ。アルメニア人の気持ちを考えると私はとても切ない気持ちになる。

IMG_6112

私はジャビットに暖かく歓待してもらったが、どうも彼のことがあまり好きになれなかった。彼は私の名前が上手く発音できず、5回以上聞いても覚えられなかったので、それをネタに笑ったりわざと間違えて呼んでくるようになった。それに対して私は良い気持ちがせず、その内彼らとの会話に参加しなくなった。

イサークパシャ宮殿はトルコで見た建築物の中でもひときわ美しく、作られた年代が新しいこともあり保存状態が特に良かった。中庭で写真を取っているとトルコ人観光客に次から次へと囲まれ、記念写真をリクエストされた。家族連れ、友達同士、カップル。皆何故かこの不思議なアジア人に興味津々で一緒に写真を撮り終えると満足そうに確認して去っていくのであった。

IMG_6131IMG_6189IMG_6214IMG_6232IMG_6243IMG_6246IMG_6248

ふとドーベヤジットのバス停に着いた時の会話を思い出した。オマールが私について興味深く尋ねてきた地元の人に、私がエルズルムで大分中国差別を受けたことを話すと「もう心配要らないよ。ここは正真正銘のクルディスタンなんだ。皆心が温かくて、外国から来た人を馬鹿にするような人は誰も居ないよ」と大きな笑顔で迎えてくれた。確かにここでも注目を集めたものの、人の目からネガティブさは一切無く、純粋な好奇心を感じた。

IMG_6197

翌朝ジャビットは彼の両親や兄弟が暮らす家に連れて行ってくれて、私たちはそこで朝ごはんをご馳走になった。家は道端に立っていて掘っ立て小屋のような粗末な造りだった。家に入ると子供が次から次へと出てきて、家族全員が迎えてくれた。少なくても子供だけでも10人はいたと思う。

ソファに座ると小学生ぐらいの男の子がお菓子や煙草がのった銀のトレーを持ってきて私たちに勧めた。イスラム圏ではヒッチハイクしたり、家を訪ねると必ず煙草を勧められた。最初は私の歯が黄色いから煙草を吸うと勘違いされたに違いないと思って憤慨したがすぐにこれが彼ら流のもてなしであることを知って安心した。

IMG_6329IMG_6333

ジャビットのお母さんはたらいぐらいの大きさのアルミトレーに、パンやチーズやジャムやきゅうりやトマトなど切ったものをよそって床に置き、私たちは客という立場で家族の長老や男性と共にそれを囲んで食べた。カーテンで仕切られた隣の部屋では女性や子供たちが小さなトレーを囲んで食べているのが見えた。今年の春滞在したヨルダンの砂漠地帯でも同じくこういう風に食べる場所が性別によって分かれていた。

家は古く外から見ると崩れ落ちてしまいそうに見えたが、中はとてもきれいに飾られて、清潔に保たれていた。トルコ人のこういうところは本当に尊敬に値する。朝ごはんを食べた後ジャビットをはじめとする家族にお礼を言って家を出た。小さな女の子たちが私の頬にキスして見送ってくれた。彼女たちの透き通った瞳の輝きが、薄汚れた私にはまぶしかった。

IMG_6298

アリョーナと私はアララト山を後ろに臨む道路の端に立ち、親指を高くあげた。すると1台目か2台目にして車が止まり、窓から気さくな運転手が顔を出して挨拶したあと早速次の街まで乗せてもらえることになった。二人は父と息子で、私たちがロシアと日本から来た事を話すと大喜びでたくさん質問した。

カッパドキアでお世話になったトルンさんが「クルディスタンでヒッチハイクするなんて、殺してください、レイプしてくださいって言っているのと同じだよ。考えもしないほうがいい。」と言っていたのを思い出した。他のトルコ人の友達からも似たことを言われたことがあるが、彼らは本当にクルディスタンのことを指して言っていたのだろうか。そもそも彼らはクルディスタンに実際来た事があるのだろうか。テレビのニュースに踊らされているのはどうやら日本人だけではないようだ。

IMG_6341IMG_6353IMG_6355

その日のゴールは出来るだけ黒海の近くまで行くことだったが、二台目の車を止めるのにすごく時間がかかった。街の中心で下ろされると車探しが難しい。郊外の車通りが少ないところの方がよっぽどヒッチハイクしやすい。燃えつける太陽の下30分くらい立っていたら、中年のクルド人のおじさん二人組が車を止めてくれた。彼らは英語を一言も話せなかったので、私たちはトルコ語で会話した。私もアリョーナもこの頃は簡単な会話なら出来るようになっていた。

IMG_6379IMG_6387IMG_6391

アフメットとムーサという二人のおじさんは友達同士で、ラマダン休暇を利用してグルジアとアルメニアに向かっているところだった。丁度いいやと思い、私たちも急遽予定を変更してグルジアまで乗せてもらうことにした。アリョーナはトルコの後グルジアに向かう予定だったし、私もグルジアには去年の秋に行ったことがあるけどもう一回夏に行くのも悪くないかなと思った。

アフメットとムーサはおもてなし精神に溢れた人たちで、旬の果物をキロ買いして食べさせてくれたり、井戸水を飲もうとしていたアリョーナのために寄り道してまで町へ行きミネラルウォーターを買ってくれたりした。また畑の横で路上販売されていた大きなスイカを買い、草原の中で割って食べさせてくれた。後ろには夏の間だけ草を求める家畜を連れて遊牧民がテントを張って暮らしていた。

昼はラマダン休暇でレストランがどこも閉まっていたので、商店でお菓子やバナナを買い込みチュルドゥル湖の畔に座ってみんなでわいわい食べた。私たちの会話は、知っている稚拙なトルコ語を繰り返すだけのお粗末なものだったけど、それでも冗談を言ったり笑ったりしてとっても盛り上がった。最初アフメットとムーサが車を止めた時、彼らの黒く焼けた肌やヨレヨレの服を見て「この人たち大丈夫かな」と不安になったが、話しているうちに心の温かさや純粋な優しさが伝わってきた。

IMG_6400IMG_6409IMG_6420IMG_6445IMG_6449

11998015_582212765249838_401401597_n

アフメットは私たちのために遠回りしてチュルドゥル湖の中の半島のようになっている場所に連れて行ってくれた。そこは青い空に反射した水面がきらきらと輝き、青い夏草がそよ風になびく天国のように美しいところだった。湖畔の村は昔と全く変わらないような生活を送っていて、燃料に使う為の乾いた牛の糞が塀の代わりに積んであった。

IMG_6462IMG_6465IMG_6479IMG_6485IMG_6489

その景色に見とれていると、アフメットが急に車を路肩に止めた。見ると舗装されていない道の脇に、物乞いのおばあさんが座っていた。どうやら目が見えないらしい。アフメットは車の中から、残っていたお菓子やフルーツを全部取り出し、盲目のおばあさんの手に握らせ「これは桃だよ」と一つずつ説明して渡した。

私はこれを見て強く心打たれた。思わず涙がこぼれそうになった。アフメットの行為は誰しもが「こういう風にできたらいいな」と思うことで、しかし実際行動に移す人は殆どいなかった。彼はそれを当然のことのように、ごく自然に行って見せた。これがトルコ人の友達から「気をつけろ」と言われた「危なくて野蛮な」クルド人の人の行いだった。本音を言うと、皆から忠告を受けてクルディスタンに来るのが怖かった。でも本当に来て良かった。自分の目でこの土地の本当の姿を見ることができて、そこに暮らす生身の人に出会うことができて本当に良かった。世界中旅していて思うのは恐怖や差別は無知から来るということ。「自分たちとは宗教が違うから怖い、貧しい国だから危ない」でも、人っていうのは世界中たいして違わない。皆ほとんど同じだ。

IMG_6508IMG_6511

IMG_6497

アフメットとムーサはそれからもグルジアまでの長い道のりを、より楽しいものにしようと終始気を配ってくれた。午後は商店で家族サイズの大きなアイスクリームを2つも買ってきて、野生の花が満開に咲く野原でピクニックしながら食べた。言葉があまり通じなくても、彼らの気持ちが分かるので会話に詰まることは無かった。彼らもきっと同じ気持ちだったと思う。心が通じていれば言葉は必要ない。それが彼らとのヒッチハイクで教えてもらったことだ。

IMG_6525IMG_6529IMG_6538

数時間後にグルジアとの国境に着くとアフメットとムーサはそこに車を置き、グルジアに入ってからは4人でタクシーに乗り込んだ。急にアリョーナは誰とでもロシア語で意思疎通できるようになり、さっきまで赤ちゃん言葉のような会話ばかりしていたので不思議な感じがした。トルコ語とロシア語両方を話すタクシーの運転手によると、アフメットたちは私たちも分のホテルの部屋代を払いたいといっているようだった。二人は事前に予約していた宿に行く予定で、そこが私たちには予算オーバーだったので安いところを探すところだった。それにしてもアフメットもムーサも何で私たちにこんなに良くしてくれるのか。勿論払ってもらうわけにはいかず、自分たちで負担したが、久しぶりに泊まったホテルのベッドはふかふかで高いお金の価値があった。

IMG_6609IMG_6613IMG_6615IMG_6619IMG_6633

次の朝起きると既にアフメットとムーサは首都トビリシに向けて出発した後だった。私はクルド人のイメージを180度変えてくれたこのヒッチハイクを忘れることはないだろう。

<読者の方にお願い>

日本ブログ村の世界一周旅行ブログランキングに参加しています。がんばって記事を書いているので、これからも多くの方に見てもらいたいです。もし良かったらブログの左側にある「世界一周」というボタンを押して応援して下さい。ボタンを押してランキングが反映されたら投票が完了したサインです。1日1回有効。