村から望むカズベキ山の山頂

グルジア~カズベキ山でプロポーズ~

翌朝はカズベキ村というロシアとの国境近くにある観光地を見学するため、ザザと家族にお礼を言って家を出た。地下鉄でバス停がある駅まで行き、そこから乗り合いのマルシュルートカを探した。丁度韓国人バックパッカー3人が乗った車が発車しそうだったので私もそれに乗り込んだ。発車間際にイタリア人のシモーネというビジネスマンも加わり、5人を乗せた車はグルジア軍道を目指しトビリシを出た。シモーネは40代のビジネスマンで出張で2週間ぐらいトビリシに来ていた。仕事内容は法律に関するコンサルタントで、グルジアの議会で新しく法律を作る際のアドバイスをしに派遣されていた。明るくて陽気なイタリア人とは一線を画す、仕事が出来る風の明るい紳士だった。

グルジア軍道とは昔ロシアとの戦争で武器を前線まで運ぶため、山を拓きトンネルを掘り開通させた軍用道路のことで、主に崖沿いを進みながらグルジアの絶景が見られるため今では観光に人気があった。車は途中でアナヌリ教会という古い教会に停まり、見学時間を設けてくれた。アナヌリ教会のイコン画は鮮明で今まで見たグルジアの教会の中で一番綺麗だった。

アナヌリ教会
アナヌリ教会

その後車は崖沿いの道を1時間以上走った。崖の下には大きな川が流れ、車窓から見える紅葉の映えた山々はまさに絶景だった。あまりにも見とれて写真が一枚もないことが本当に悔やまれる。やがて紅葉は一気に雪景色に変わった。村へ行く途中にある「壁画のある展望台」にも立ち寄った。晴れた日にはここから山の景色が遠くまで見渡せるらしかったがあいにく雪で何も見えなかった。

トンネルをくぐるとそこは雪国でした
トンネルをくぐるとそこは雪国でした
壁画のある展望台
壁画のある展望台

3時間してカズベキ村に着くと、気温は低かったものの雪は消えていた。私はみんなと別れて事前に調べておいた宿に向かった。グルジアの田舎では食事つきの民泊が主流なのだけれど、どこも一切看板が出ていないので探すのは本当に大変だった。道を聞こうにも本当に誰も英語をしゃべらないので、片言のロシア語とほんの少しのグルジア語で1時間以上彷徨った挙句、インターネットで調べた地図とは全く違う場所にあった宿を見つけた。

情報では宿代が良心的で食事が美味しいと評判の宿だったけれど、あいにくおかみさんがトビリシに出掛けているので素泊まりになった。夕飯を食べに出掛けると荷物を背負ったままのシモーネを見つけた。どうやらまだ宿が決まらないようだったので私のところに来ることになった。

迷っていた時にみつけた羊の群れ
迷っていた時にみつけた羊の群れ

夕飯を食べて宿に戻ると、困ったことに温水シャワーが出ず、暖房も壊れていた。宿のおじさんに暖房の文句を言うと、壊れて扉もついていない小さなオーブンを出してきて、これで部屋を暖めろと無茶を言ってきた。あると約束していたインターネットもないし、なんて宿だ。仕方なく毛布にくるまり震えながら寝た。気温は10度を切っていて、寒さで頭が痛くなり風邪の引き始めの症状が出てきた。翌朝7時くらいにドアを叩く音で目が覚めた。宿のおじさんがどうやら朝食をすすめているようだった。朝食はついていないはずだったので喜んで起き上がると、追加で10ラリ(日本円で600円)だと言われた。それなら要らないと言って断り、眠りに戻るとまた1時間してドアを叩き朝食を売りつけにきたので本当に頭にきてしまった。隣の部屋に泊まっていたシモーネに相談し、その日は宿を移ることにした。

シモーネと朝ごはんにパンを買いに行くと、パン屋のおじさんが見ていけと店の中に入れてくれて石釜や生地作りを見学させてもらった。生地は釜の中にうまく張り付いて焼かれ、焼きたての香ばしいパンはふっくらモチモチでとても美味しかった。

パンを焼いているところ
パンを焼いているところ
次々に地元の人が買いに来る
次々に地元の人が買いに来る
記念撮影
記念撮影

その後カズベキ村で一番有名な観光スポットであるツミンダ・サメバ教会のある山に登った。シモーネと色々な話をしながら登っているといつのまにか雪が降ってきた。2時間歩いてかじかみながら教会に着くと、中では石油ストーブが焚かれ観光客が暖を取っていた。教会の中は写真禁止でアナヌリ教会のような華やかさはないものの、煤で真っ黒になった岩の壁が歴史の深さを物語っていた。

丘の上に立つツミンダ・サメバ教会
丘の上に立つツミンダ・サメバ教会

シモーネと二人で辛抱強く雪が止むのを待ち、晴れていれば見えるはずの標高4000メートルのカズベキ山の姿を待ち望んだ。3時間くらい待つと雲がだんだん消えていき、カズベキ山の反対側の山を見渡すことができた。でもカズベキ山は依然雲に隠れたまま見ることが出来なかった。

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反対側の山は見えてきた

山から下りて新しい宿を探しているとロシア人のアレックスという若い旅行者に出会った。アレックスはサンクトペテルブルグ出身でヒッチハイクとテント暮らしで世界を旅していた。どうしても送らないといけないe-mailがあるらしく、パソコンを貸してくれる人を探していた。私たちは快く了承し、wifiのある宿に着くまでアレックスもついてくることになった。無事宿に着いてe-mailを送った後は3人で夕飯を食べに行った。

アルメニアでも食べたシャウルマと呼ばれる串焼き
アルメニアでも食べたシャウルマと呼ばれる串焼き

アレックスは話好きで今までの旅行中にあったエピソードをたくさん披露してくれた。例えばトルコを旅した時はウクライナ人のトラック運転手の車に何日間か乗せてもらって、トラック運転手専用の宿泊村で寝泊りし、ドライバーに話し相手がいなくなると寂しくなるから行かないでくれと引きとめられたこともあるらしい。アレックスのヒッチハイクの話を聞いていると、自分のバスや電車を使った旅が生ぬるいように思えてきて、私ももっと深い旅の経験が出来たら良いと思うようになった。私には分からないけれどアレックスは同性から慕われる魅力があるようで、シモーネも彼を大変気に入り「何か困ったことがあればいつでも連絡してくれ」と言って連絡先を渡し、最後はみんなの分を全部ごちそうしてくれた。氷点下の気温の中、テントに戻るアレックスを見送り宿に戻ってぐっすり寝た。

左からシモーネ、私、アレックス
左からシモーネ、私、アレックス

翌朝起きて朝食のテーブルに着くと、短髪にミリタリー風のつなぎを着て鋭い目つきをしたドイツ人の中年男性と同席になった。一体何者かと思いながら話していくと彼はバイクでロシア中を旅して今はドイツに戻る途中だった。普段はスイスにある食品包装の会社で重要な役職についていて、一年に100回以上飛行機で出張する敏腕ビジネスマンだった。主な顧客はアメリカのチョコレート会社で、あの有名なスニッカーズチョコレートを包む機械は全て彼が納めていた。しかもスイスのチョコレート工場で見た機械はなんと彼が設計したものだと聞き、本当にびっくりした。今も会社から休暇を貰って旅する代わりにバイクに乗りながらロシアの地方顧客を周り、自社の機械の様子をみてまわっていた。ビジネスマンといえども海外では色々な生き方があるのだなと感心した。いくら設計も営業もできる敏腕社員でも日本では出来ない働き方だ。彼は今までの人生でほとんどの国を旅し尽くし、「あまりにも旅をしすぎたからか最早旅は自分にとって全く特別な意味を失ってしまった」と言った。それも悲しい話だと思った。

子供に朝ごはんを食べさせる民宿の若いお母さん
子供に朝ごはんを食べさせる民宿の若いお母さん

朝食の後はシモーネの意向でもう一度教会のある丘に登ることになった。どうしても晴れた日のカズベキ山の景色を間近で見たいようだった。昨日とは打って変わって空には雲ひとつなく、宿からもカズベキ山の真っ白な山頂を見ることができたが、せっかくなので私も着いていくことにしたのだった。昨日よりも早いスピードで教会のある山頂に着くとまだ時間があまっていたので、そこからカズベキ山がもっと良く見える場所まで歩いてみることにした。歩いている内に二人ともだんだんやる気がみなぎってきて、このままカズベキ山の中腹まで登ってみることにした。

村から望むカズベキ山の山頂
村から望むカズベキ山の山頂、左側が昨日の教会
今日は昨日よりも足どりが軽やか

登山道は最初はおだやかだったけれどだんだん険しくなっていき、ごつごつした岩場や雪の積もった場所を登らないといけなかった。もともと山に登るつもりもなかった為、水や食料も少なく二人でチビチビと分け合いながら懸命に進んだ。途中でベルギー人男性とグルジア人女性のカップルに出会って一緒に歩いた。二人は去年彼がグルジア旅行に来た時に彼女がツアーガイドだったことで知り合い、意気投合して付き合うようになったらしかった。彼氏のオリビエはとても明るく、よく冗談を言って皆を笑わせた。食料もたくさん持ってきていて「登山にはコーラが一番だ。水分と糖分が一度に取れるからね」と言って私たちにも飲ませてくれた。教会のある丘から登り始めて4時間たち、ようやく山頂が見渡せる場所まで辿り着くことができた。周りにはまだ雪が積もっているというのに汗だくになりながら見えた景色は本当に綺麗だった。ここまで登るつもりもなかったのに、いつのまにか標高は3000メートルを越えていた。今まで登った山の中で一番高く、達成感で一杯だった。

やっとここまで来た
やっとここまで来た
達成感でいっぱい
達成感でいっぱい

シモーネと記念写真を撮り、へとへとになりながら地面に座り込むと先に来ていたイスラエル人のグループがお菓子や大きな水のペットボトルをまるごと譲ってくれた。カズベキ村はイスラエル人観光客がとても多く、昨日登っている時も何人かと言葉を交わした。聞くと格安航空会社のフライトが出ているらしい。私にとってイスラエルという国は、ドイツによる民族虐殺の悲しみを痛いぐらい経験しているくせに、それと同じことをまたパレスチナ人に行うという不可解な国だった。東京に居る時知り合ったイスラエル人もどこか自分は特別に優れた人間なのだという意識がある人で、そのせいかイスラエルに対して全く良いイメージはなかった。でもグルジアに来てから会うイスラエル人の若者たちは実にフレンドリーかつ親切で親しみを持つことができた。今まで偏見を持っていた自分を恥ずかしく思った。

一緒に登っていたはずのオリビエたちの姿が見えないなと思っていると、突然遠くから大きな拍手が聞こえた。見ると、なんとオリビエが彼女にプロポーズしていて丁度指輪を受け取ったところだった。周りの登山客の拍手が山にこだました。シモーネと一緒にお祝いの言葉をかけに行くと、オリビエはリュックに忍ばせてきたシャンパンを私たちにも振舞ってくれた。二人とも幸せでいっぱいの顔をしていた。そして今のプロポーズを再現するから、写真を撮ってくれないかなとお願いしてきた。シモーネも一眼レフの使い手であるけれど、写真はアジア人が一番うまいという困った偏見から私がその大役を任されることになった。きっと二人の記念すべきプロポーズの写真は友達や親戚中が見ることになるだろうし、いつか子供や孫が産まれた時にも「おじいちゃんはおばあちゃんにこの山でプロポーズしたんだよ」と言って見せることになるかもしれない。本当に困ったなぁと思いつつ、ハリウッドスターのようにプロポーズを再現する二人をバシバシと写真に納めた。

おめでとう、ニノとオリビエ
おめでとう、ニノとオリビエ

そこで一時間くらい休憩した後、ふたりのペースで降りるというオリビエたちを置いてシモーネと下山した。「私たちすごい現場に居合わせちゃったね。まさかプロポーズするなんて」と興奮しながら言うと、シモーネは「うん。でも僕はああいう状況でプロポーズするっていうのはちょっと独りよがりな気がする。周りの人が見ていたら彼女だって万が一の時は断りづらいだろう。もっと女性側の気持ちに立って思慮深く行わないとね。シャンパンだって写真だって、オリビエはちょっと自分に酔っているんじゃないかな」と冷静な意見を述べた。まさか情熱に基づいて生きるイメージのイタリア人からそんな地に足の着いた感想が出てくるなんて。シモーネはやっぱり違うなと見直した。

村まで下山すると丁度トビリシ行きのマルシュルートカが出発するところだったので、急いで宿に荷物を取りに戻り車に乗り込んだ。日がどっぷり暮れてからトビリシに着くと、街は金曜日の夜で色めき立っていて駅前では大きな音楽に合わせて若者が踊っていた。

トビリシだって金曜日はどことなく華やか
トビリシだって金曜日はどことなく華やか

1泊8000円くらいのビジネスホテルに戻るシモーネと別れて私は1泊800円のホステルに向かった。普段は住む世界が違ってもシモーネと一緒に行動できて本当に良かった。

ザザの家族は何度もまた戻っておいでと言ってくれたが、ザザの部屋を占領するのを申し訳なく思い、ホステルに移ることに決めた。ヨシ君がおすすめしてくれた「リアとナタの宿」はその名の通り、グルジア人のリアとナタの老姉妹が経営する宿だった。ルスタベリ通りのマクドナルドから歩いて2分の好立地にあり、宿泊代は15ラリ(日本円で800円位)と良心的だった。他にももっと安いところはあるものの、ベッドは独立型で2段ベッドではないし、人が少ないのでゆっくり過ごすことができた。宿泊客は他にロシア人が4人いるだけだった。リアとナタはちょうど夕飯にカチャプリを焼いたばかりで、焼き立てを私たちもご馳走してくれた。ナタとリアとは片言の会話でもその人柄の良さがよく伝わってきて、話していると心が和んだ。

やさしいナタとリア
やさしいナタとリア
焼きたてのカチャプリを食べさせてもらった
焼きたてのカチャプリを食べさせてもらった

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