イスラエル~太陽に抱かれた街、テルアビブ~

こんにちは、今日も読んでくれてどうも有難うございます。最近ブログが長すぎて読む人に迷惑をかけているかもしれないと思ったので、今後はもうちょっと写真中心にしてサクサク読めるように変えていきます。自分が特に力を入れて書きたいことについては、今まで通り書いていこうかな。

ヘブロンで出会ったあゆみさんとは翌日ラマッラーという町に一緒にバスで向かった。ラマッラーはパレスチナの行政の中心となる町で実質的に首都の役割を果たしている。私たちはヘブロンからパレスチナ人用のミニバンに乗ったので、高速道路などは使えず(人種によって使える道が限られているなんてひどい話)とても急な丘を登ったり下ったり、カーブの多い道を何時間も走ったので、あゆみさんや他の乗客は気分が悪くなってしまい本当に可哀想だった。この旅の中でも悪路ワースト3に入るだろう。

ラマッラーでは”Hostel in Ramallah”という最近出来たばかりの新しいホステルに泊まった。ここはパレスチナ人の男性二人が経営していて、イスラエル軍に対する抗議デモに参加するツアーなどを行っているので、パレスチナ問題に興味があるバックパッカーやパレスチナのためにボランティアをしている欧米の若者たちがたくさん集まっていた。そして私はここで偶然、イスラエル入国の際に一緒に国境で待たされたアメリカ人のマーカスと再会した。

Hostel in Ramallah
Hostel in Ramallah

マーカスはこのホステルのツアーで抗議デモに行ってきたばかりだったので感想を聞いた。

※抗議デモとは:イスラエル軍が毎日侵食していっているパレスチナ自治区の土地に行き、ここはパレスチナの土地だと抗議主張すること。パレスチナ人や外国人によるデモ隊が姿を現すと、イスラエル軍は催涙弾を投げて追い返す。毎週金曜日に行われている。

「抗議デモに参加する前はきっと良い経験になると思って期待していたけど、実際参加してみてあまりのすさまじさにショックを受けたよ。イスラエル軍はこちらが何もしなくてもどんどん催涙弾を発砲して来るんだ。みんな煙で吐き気を催していたよ。催涙弾じゃ人は殺せないって言っても、催涙弾って鉄の塊なんだよ。こんなの頭にくらったらその場で即死だ。何よりも、抗議をする→攻撃されるっていう暴力の応酬に自ら参加するっていうのが僕は嫌だったな。抗議しなければしないで、土地がどんどん侵食されていくから仕方がないんだけど、とにかくすさまじい暴力性を体験してかなりショックを受けたよ。もう二度と参加することはないな」

マーカスが見せてくれた催涙弾は、人の拳二つ分くらいの鉄の塊で、確かに人を殺せる威力があるものだった。例えパレスチナを応援するため、デモを体験するためだけだとしても、今まで平和に生きてきた人がいきなり相手の軍から攻撃される立場に立つということは、言葉にするよりショックが大きなことなのだろう。

私は色々なことを考えながら、あゆみさんと一緒に野菜市場に行き夕飯を作って二人で食べた。ちなみにパレスチナは中東で一番野菜の種類が充実していて、どれもすごく新鮮だったので毎日野菜を買いに行くのが楽しみだった。四ヶ月ぶりに食べたアボカドの味は感動的だった。

あゆみさんとホステルで自炊する
あゆみさんとホステルで自炊する

夕飯を食べた後はあゆみさんと夜遅くまでおしゃべりして楽しんだ。ガールズトークで大はしゃぎし、大学時代の友達と話しているみたいだった。日本を出て以来9ヶ月、久しぶりに浮いた話で盛り上った。

翌日はたまたま地元の地図でJICAを見つけたので、二人で訪問してみた。アポなしでやってきた得体の知れないアラサー二人を、JICAで働くパレスチナ人職員の人たちは歓迎してくれて、現地での活動のことを詳しく説明してくれた。また日本人スタッフの方からも話を聞く事ができて、JICAの活動を理解する貴重な機会になった。

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JICAで、あゆみさん、ナウラスさんと

その後は二人で歩いて、2004年に亡くなった元パレスチナ大統領のアラファト議長のお墓を見に行った。

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ラマッラーの町には至るところにパレスチナ軍の兵士が立っていた。

アラファト議長のお墓はとても静かで、私たちの他に参拝している人は4人ぐらいしかいなかった。参拝というよりも、携帯で写真を撮るぐらいで一国の指導者のお墓にしては結構寂しい感じがした。

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警備の兵士も一人しかいない
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昔の影響力を考えると意外と小さなお墓

ラマッラーはかなりチャイニーズハラスメント(中国人だと思われてバカにされること)が多い町だった。あゆみさんと二人で歩いていて、アジア人であることが目立ったからかもしれない。中東の若い男たちは中学生並の低レベルな口調でバカにしてくることが多いので本当に腹が立つ。それでも大分聞き流せるようになったものだ。

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こいつらも写真を撮ったあと散々バカにしてきたな
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ラマッラーはパレスチナ一大きな町。とても賑わっている。

その日の午後にあゆみさんと別れ、一人でイスラエル側のテルアビブという町に向けて出発した。あゆみさんと会えて、日本語でしゃべったことでかなりリフレッシュできたし、楽しい会話でたくさん笑ったことで元気をもらうことができた。また再会できる日が楽しみだ。

ヘブロンの入植地に咲いていた薔薇
ヘブロンの入植地に咲いていた薔薇

テルアビブではカウチサーフィンで連絡していたイスラエル人のルースとマルセロ夫婦のお宅にお世話になった。ルースはテルアビブに隣接する市の職員を務めていて、パレスチナ人との共同プロジェクトを主催したりと、イスラエル人でありながら両国の平和を祈っている女性だ。

夫のマルセロはブラジルのサンパウロで生まれ育ったユダヤ人で、数年前にイスラエルに移住してきたばかりだ。大学で物理の講師をしている。マルセロはルースと違いアンチ・パレスチナで、パレスチナ人のことは全くよく思っていない。

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左からマルセロとルース夫妻。

私がマルセロに今まで周ってきたパレスチナの町のことを話すと、「君はパレスチナで時間を無駄にしている。次に来る時はイスラエル側に滞在した方がいいよ」といって奥さんに怒られたりと、同じ夫婦でも政治に対する考え方が正反対なのが面白いなと感じた。

最近は自分と考え方や価値観が違う人と出会うと、その人の生まれ育った環境を想像して、この人の考え方が自分と違うのにな理由があるんだと思えるようになった。当たり前のことなのに、この冷静さを得られるようになるまで本当に時間がかかった。

テルアビブは私にとって初めてのイスラエルの都市だったので、その数時間前までいたパレスチナと比べてはあまりの違いように驚いた。西洋的な町並み、オープンテラスで食事するカップルたち、開放的な服装の女性たち、ごみが落ちていないこと、リサイクルが行われていること、街角で電動自転車が借りられること、ほとんどの人が英語を話せること、あらゆる公共交通機関が発達していること。

あとは物価が急に3倍くらい上がったこと。パレスチナでは100円ぐらいで買えた2リットルの水が300円になった。旅行者の間で物価が世界一高いと言われているイスラエルに来てからも、ずっとパレスチナにいたので「高いっていっても日本より少し安いぐらいじゃないか」と侮っていたので、本当に驚いた。

でも私はテルアビブの町がすごく気に入った。雰囲気としてはベルリンの町の自由さにビーチを持ってきたような感じ。どのレストランやカフェひとつ見ても個性的で、おしゃれなストリートが永遠に続いていた。メインストリートのひとつ向こうはもう海で、水着で泳いできた帰りに薄いワンピース一枚着てアイスコーヒー片手に歩いている若い女の人たちをよく見かけた。皆太陽をこよなく愛していて、自由に楽しく生きる人たちのための天国のような町だった。

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ヤッファから見渡すテルアビブの町
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海には泳いでいる人がいっぱい

テルアビブを観光できるのは一日だけだったので、ルースのすすめでヤッファの旧市街を訪れた。ヤッファは海岸沿いの小さな港町で、古い建物が並ぶ町並みにアンティークや古着や雑貨の店がたくさん集まっている。ヤッファは私が訪れた世界の国の中でも最もおしゃれな町で、代官山も表参道も足元にすら及ばないなと思った。アジア人皆無のテルアビブでは大きなカメラを持って外を歩くということが目立ちすぎて本当に恥ずかしかったので、ろくな写真が取れなかったのが残念だった。

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古着ストリート
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ランプ屋さん
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アンティークの金物雑貨
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キリムカーペットの店
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木で覆われた店
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レトロなホーロー鍋の数々

自分にとってテルアビブは飛行機に乗るためだけに来た町だったのに、その開放的な雰囲気にすっかり魅了されてしまった。

イスラエルとパレスチナには戦争のイメージしかなかったけれど、自ら好んで入植地やデモに行かない限りとても平和だと思うし、その土地が持つ魅力というものに大きく惹かれた。太陽は一日中降り注いでいるし、きれいなビーチもあるし、野菜やフルーツは肥沃な土壌で美味しく育つし、エジプトやヨルダンの砂漠地帯を長く旅してきた自分にとっては土地の豊かさがひときわ印象に残った。

また、来るまではイスラエルの分離壁によって町が区切られてパレスチナ人の自由が奪われているということがひどいことだと思っていた。それは未だに変わらない。でも初めて来た日に分離壁をくぐり、パレスチナ側の町に渡ったときの私の感想は「なんて面白いんだろう」ということだった。

壁一枚隔てて、町並みが変わり、人の顔が変わり、言葉が変わる。ゴミ一つ落ちていない完璧に整備された町並みから、路上で野菜を売っている国へ。目が合っても笑顔一つない人たちから、向こうから挨拶してくる人懐っこい人たちへ。(イスラエル人の名誉のために書いておくと、彼らは無愛想な割には話しかけるとすごく親切にしてくれる)世界にこんな場所が存在すること、それが素直に驚きだった。そんな発見があるから旅は楽しい。

来年あたり時間があれば何ヶ月か滞在してパレスチナでボランティア活動をしたいと思う。何が良かったのか説明するのが難しいけれど私はパレスチナが本当に気に入った。モンゴルとイランと並んで今まで行って良かった国トップ3に入る。今回来てみてパレスチナという国が確かにこの世界に存在するということを知った。そしてこの国がこのまま地図上から消えてしまわないように、何か役に立ちたいと、そう願うようになった。

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ルースと。彼女に出会ったことで、イスラエルの人の中にも平和を願う人が沢山居ることを知れて良かった。

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