トルコとギリシャ~カウチサーフィンのストレス、魅惑の小島カステロリゾ訪問とキャンプサイトの救世主~

1週間滞在したボドルムを出てアンタルヤ海岸を東にカシュという街に向かった。カシュに行く途中ではオルデニズという有名なビーチがあることで知られるフェティエにも立ち寄った。でもフェティエのバス停についた時に問題が発生した。なんと、カシュを出る時はキレイだったバックパックの裏側がボロボロになっていて穴がいくつか空いていたのだった。多分バスの運転手がトランクに積み込むときに、荒く積み込みすぎて布が金属部分とずっと摩擦していたのだと思う。

バス会社に文句を言うと、「それは俺たちの責任じゃない」とか「そんなこと知らない」と言い始めたので私は怒って、バス停の隣の警察を呼んだ。でも案の定警察は全く役に立たなかったので、自分だけでバス会社とやりあうことになった。まずこのバックパックは日本円にして3万円もしたこと、今まで一年間近くタフな旅行をしてきても全く無傷だったこと、余程のことをしなければ破けることはないということを説明した。当初弁償代を受け取ることが一番の目的ではなかったけれど、このバス会社の連中には「乗客のカバンを破損してタダで済むなと思うなよ」ということを教えてやらなければいけないと思ったので、疲れ果てながらも1時間議論し最後には100トルコリラ(日本円にして5500円くらい)返してもらった。日本だったら大した金額じゃないのかもしれないけど、それだけあればトルコでは一週間食べられるので、満足した。

ボドルムのあまり綺麗とはいえないビーチでの経験から、トルコのビーチは駄目なんじゃないかと思っていたがオルデニズは違った。水の色は今まで見たことのないようなミルキーブルーの美しい色をしていた。海を見た瞬間あまりにも興奮して走り出したら、足元に下水用の柵があるのに気が付かず、大勢の人の前で派手に転んでしまって本当に恥ずかしかった。そこで一人で1時間くらい泳いだ後、またミニバスに乗り込んでカシュに向かった。ここではカウチサーフィンのホストであるデニズが迎えに来てくれる予定だった。

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デニズは車で迎えに来てくれて、カシュの街と地中海を一望できる美しいマンションに案内してくれた。デニズは20代後半で大理石掘削の会社に勤めており、裕福な生活をしていた。カウチサーフィンの評判も良かったので私は彼に連絡することに決めたのだった。夕飯には広いバルコニーでBBQをしてくれて赤ワインまで出してくれた。

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時間がたつと共に彼の行動の中に少し不審な点が目立ち始めた。夕飯を食べ終わるとデニズは何故か私の隣に座って、顔を近づけて「寒くないように」と持ってきたブランケットに一緒に包まろうとしてきた。その上スマホで甘ったるい音楽を流しては「一緒に踊ろうよ」と誘ってきたので、私は気味が悪くなった。

「これはあれか。あわよくばカウチサーファーと寝ようとしているパターンか。」私は中東で体験した悪いカウチサーフィンの経験から、自分の立場をはっきりさせなければと思い、カウチサーフィンに友情以上のことは求めていないということや時々カウチサーフィンを出会い系サイトと勘違いしている人がいるけど私は違う、と説明した。デニズは私の主張に大分プライドを傷つけられたようで、自分の行動はトルコでは実に普通でナチュラルなんだ、とか「君も少しはヨーロッパのコミュニケーションに慣れないといけないね」とか言ってきた。

私は自分がアメリカとカナダで合計5年間暮らしてきて西洋のやり方は分かっている上で、デニズがしようとしてるのはそれとは違うと言った。デニズに反論するのは本当に大変だった。彼は私の主張は一切聞き入れない上、すべて「君がクローズマインドのアジア人だからだ」と責任転嫁してきた。私は本当に疲れ切ってしまった。カウチサーフィンのホストとなんて争いたくないのに。特にカシュのような物価の高い街ではタダで寝られる場所が欲しかっただけなんだから。

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何でカウチサーフィンの男性ホストには女性サーファーに対して思慮がなくて、私たちが居心地悪くなるようなことばかりする人がいるんだろう。私は何度もこの家を出ることを考えたけど、やめた。何だか今までの人生で何でも逃げて解決しようとしてきた気がするので、もうそうするのは嫌だった。デニズの主張からは彼と私の考え方に差があったことは分かったし、悪意もないようだったので許した。そして次の日の晩は、自分からの歩み寄りの意味を込めて簡単な夕飯を作り、会話も当たり障りの無いことを心がけた。

全部順調なように見えたけど、デニズが急に犬や猫を食べる中国人に対する怒りを何故か私にぶつけてきたことで場の雰囲気は一気に悪くなった。デニズには日本人は犬や猫を食べないと説明したけれど、彼にとってはアジア人は皆一緒なのだった。デニズの中国人の食文化に対する批判があまりにもひどいので、私はちょっと同じアジア人として黙っていられず反論した。

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私の主張はまず、どの国も食文化は歴史などによって違うのだから、他の国のことを一概に批判することはできないということ。何で鶏や牛は食べていいのに、猫や犬はだめなのか。鶏や牛だって可愛いのに。自由に歩きまわれる犬や猫を食べるより、狭いケージに閉じ込められた鶏や生まれてから一度も日の光を見たことのない牛を食べるほうが人道に沿っているのか。それを食べる理由っていうのはどの国にもある。例えば貧しい国や地域では肉を買えない代わりに昆虫食でたんぱく質を補ったりしている。一体誰が何を食べて、何を食べたら悪いのか、決める権利があるのか。私は特に西洋の偏った倫理観を持ってきては自分たちは進んでいて、他の国は遅れていると思っている人に出会うと腹が立つ。

こうしてデニズの家での2日目の夜は、最初の夜よりひどい結末に終わった。デニズも友達を呼んできたり、バーに行こうよと言ってきたりして関係の友好化に努力したけれど、一度失われた信頼関係や友情は二度と戻ってこなかった。私は身も心も疲れきった状態でデニズの家を出た。最初の晩にとっとと出ればよかったのか、良い関係に終わろうとがんばりすぎたのか。そもそもイスラム圏で男性ホストの家に泊まること自体、無理なことなのか。

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デニズの家を出た日の朝、私はカシュからフェリーで2キロ離れたところにあるギリシャのカステロリゾ島に日帰りで行ってみることにした。島が近づいてきて一番最初に目に飛び込んできたものは、何と隠れた入り江で裸で泳ぐカップルだった。2キロしか離れていないのに、こんなにも文化が違うなんて。トルコでは海で裸で泳ぐことなんて夢のまた夢だった。

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小さな島の小さな港町に着くと、フェリーに乗っていたヨーロッパ人観光客の多くはボートをチャーターして遠くにあるビーチや「青の洞窟」として知られるスポットに向かって行った。勿論私にはそんなお金がないので、一人で島を歩き、古城跡をまわったりしながらやがて誰も居ない入り江に辿り着いた。そしてそこで何時間か泳ぎ、この旅最後のギリシャの海を満喫した。

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それにしてもギリシャの島の美しいことといったら本当にトルコとは比べ物にならない。トルコでは砂浜のほとんどが有料のビーチベッドやパラソルで覆われて商業化されつくしていて、砂浜から50メートル海に進めば、それ以上先へは泳げないようにブイで仕切られた線が敷いてある。カステロリゾ島は私が今まで行ったギリシャの島の中でも一番美しかった。小さくて、隠れていて、他の世界からは孤立したような場所だった。

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島の集落は港に面した通りを除くとひっそりと静まり返っていて、ほとんど無人だった。誰も住んでいない、打ち捨てられたような家がたくさん立ち並び、錆付いた「入居者募集」の看板が寂しく風に揺られていた。古くて崩れかけた家やトルコ統治時代に建てられたモスクや公衆浴場跡を見ると何だか無性に感傷的な気分になった。昔は大勢の人々で栄えたこの島も、今では誰からも忘れ去られて、年老いた詩人のように静かに死を待っているようだった。最も孤独で美しい境地にあった。

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水は底まで透き通っていて大きな海亀が泳いでいるのを二頭も見た。小さなレストランでギリシャ最後の食事を食べて、夕方近くのフェリーでトルコに戻った。

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次の目的地であるアンタルヤ行きの最終バスに間に合わなかったので、その晩はジェムの農場で知り合ったヤコブとローナというカップルから教えてもらったCan Mo Campというキャンプサイトに泊まることにした。二人から、キャンプオーナーのジャンもスタッフもとても気さくで良い人たちなんだと聞いていた。ジャンに二人の紹介で来た事を話すと、ジャンは何故か自分の古くからの友人であるアメリカのヤコブとローレン夫妻のことであると勘違いして大幅に宿泊費を割り引いてくれた。

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その後別人だったことが発覚した後も、ジャンは気前がよく、私が貧乏旅行をしていることを話したせいかキャンプ内のレストランで夕飯をごちそうしてくれた。丁寧に作られた前菜やサラダによるベジタリアンプレートは味わい深く、デニズとの件でかなり参っていた私にはジャンの優しさが一層心に沁みた。ジャンは夕飯の後お客さんの前でミニコンサートを開き、ギターの弾き語りを披露した。ジャンのキャンプサイトにいるとこの数日間の疲れが一気に癒されるようだった。

次の朝私がアンタルヤまでヒッチハイクするため荷物をまとめて出て行こうとすると、ジャンが私をとめてもう一泊するようにすすめた。確かにジャンのキャンプサイトの居心地は最高だったので私は延泊を決めた。ジャンは自分のバイクの後ろに私を乗せて、わざわざ遠く離れたビーチまで送ってくれた。そこでカフェを経営している友達に無償でサンベッドを使わせてくれるよう頼んだ後、ジャンは元来た道へ風のように去っていった。何時間か後にわざわざ迎えに来てくれたので、今までのお礼に街の食堂でランチをご馳走した。

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次の朝ジャンはヒッチハイクする私を高速道路まで送ってくれて、またの再会を約束して別れた。多分ジャンに会っていなかったらカシュでの滞在は最悪なものになっていたと思う。何度もデニズの家を早く離れなかった自分を責めたけれど、多分このひどい経験があったおかげでジャンに出会えたことをより深く感謝できたのじゃないかと思っている。

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青いサングラスをかけているのがジャン。

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