いやぁ~、すっかり更新が途絶えてしまいました。ブログは気が向いた時に書くということにしているのですが、最近はボランティアの仕事やハイキングで忙しかったりした後、怒涛の移動があったりして忙しくて書けませんでした。
ギリシャのあとは2ヶ月あまりトルコにいました。7月初めにカッパドキアのホテルのボランティアで知り合ったロシア人の女の子アリョーナと仲良くなってから、しばらく一緒に旅をすることになり、列車で15時間かけてトルコ東部最大の町エルズルムまで行きました。そこからアルメニア人の心の拠り所とされている(でも今はトルコ領にある)アララト山のある町ドゥーベヤジットまで行き、その後ヒッチハイクをして北部のカースという町に行こうとしていたら、たまたま乗った車がグルジアに向かっているということを知り、一昨日、風に身を任せてこの旅2回目のグルジアに来てしまいました。
今はグルジア一の保養地ボジョルミ(天然水で有名)の民宿にて旅の整理(ブログとか写真とか)をしています。そんなこんなで久しぶりに一人旅を離れて二人旅をしていますが、気が合う友達なのでとても楽です。女の子とこんなに長く旅をするのはお互い初めてで、楽しいもんだなというのが私の印象です。それではギリシャの旅の続きです。
3週間滞在したコルフ島を離れて、サンディとニコの学生時代の友人であるサキを訪ねてテッサロニキまでやってきた。ニコは若い頃バンドの一員としてプロデビューしていて、サキはそのバンドのデビューアルバムで音響を担当していた。ニコたちからサキはブラジル音楽が大好きで、いつも明るくて人を楽しませるのが大好きないいやつなんだ、と聞いていたからサキに会うのは楽しみだった。そして会ってみるとサキは評判どおりの良い人だった。
サキは白髪なので年をとってみえるけれど、まだ50歳。ロックとブラジル音楽が大好きで友達とバンドも組んでいる。週に1回は毎週スタジオへ行き、夜中までリハーサルしているみたいだ。とにかく明るくてお茶目な人なので友達が多く、独身だけど毎日忙しく暮らしている。私が着いた日もジージャンを羽織ってパンクのフェスに行く準備をしていた。サキは年を取っても新しい音楽を聴いて世界を広げるのが好きだと言い、部屋には新しいバンドのポスターも張っていた。私はそんなクールなオヤジ、サキのことがとても気に入った。
サキはテッサロニキにある広いアパートで一人暮らししている。去年まで会計士として働いていたけれど、退職して今は不動産収入で生計を立てている。ちなみにギリシャではこういう人は結構多いようで、ニコもアテネに所有しているアパートの収入で生活していて、一度も就職したことがないと言っていた。サンディはそんな彼のことを「王子様」といって時々からかっていた。
サキはボサノバを初めとするブラジル音楽の大ファンで、家にはレコードとCDが宝の山のように積まれていた。実は私も学生の頃からブラジル音楽が大好きで、卒業制作としてボサノバの本を翻訳したりするほど熱を入れ込んでいた。お互いにこれほどブラジル音楽が好きな人とは会った事がなかったので、好きなアーティストや曲の話で会ったばかりとは思えないほど盛り上がった。サキは本場ブラジルにも行ったことがあって、レコードを聴きながらその時の写真も見せてくれた。自分の好きな歌手の曲をレコードの温かい音で聴くと、何とも心が落ち着いて、初めて着た家なのにすっかりくつろいでしまった。
翌日サキはテッサロニキ観光に連れて行ってくれた。テッサロニキはギリシャ第二の都市で、貿易港として栄えている。街にはビザンチン建築の教会など遺跡がいくつか残っているので、サキと歩いて観光した。
遺跡見学よりも楽しかったのは、二人で雑貨屋タイガーコペンハーゲンに入って雑貨を冷やかしたり音楽に合わせて踊ったりしたこと。サキはおじさんだけど可愛いものが大好きで、冗談を言いながらもいくつかの雑貨を購入していた。私にはお箸を買ってくれた。
その後教会を見学しに行くと丁度結婚式を挙げていたのでふたりで見物した。ギリシャでは子供が生まれた後結婚式を挙げる人が多いらしい。「お金がかかるからね、しばらく稼いだあとじゃないと」とのこと。教会の敷地内に丸められた白い布が落ちていたので、誰かの落し物だと思って拾おうとしたら結婚式の飾りだった。
その次の日は朝早く起きて、メテオラというギリシャの有名な観光地に行こうとしたらバスに乗り遅れて行けなかった。日曜日だったからバスのダイヤが変わっていたらしい。仕方なく家に戻るとサキが実家の食事に誘ってくれた。
実家ではサキのお母さんとお姉さんと姪のソフィアが迎えてくれた。お母さんはたくさんの手料理でもてなしてくれて、それは本当に美味しいものだった。ギリシャでは日曜日のお昼は家族集まって食事をすると決まっているらしい。町中のお店は全部閉まっていて、みんな家族の下に戻っていくなんて良い文化だなと思う。年中無休の日本とはだいぶ違う。
サキとはギリシャの金融危機の話もたくさんした。今までの3週間の中で私が聞いたことは、ギリシャでは公務員が厚遇されすぎているということ。サンディによると国民10人に1人が公務員で、しかも仕事はせずにタイムカードだけ押して、副業に向かうなんてこともざらみたい。サキは公務員以外の一般国民は本当にきつい生活を強いられているのに、公務員は甘い汁を吸ってばかりいると言っていた。本当は彼らの福利厚生を減らすべきなのに、今のチプラス政権は公務員の支持によって成り立っている為それができないらしい。
国全体の問題としてはとにかく企業と個人両方の脱税がはびこっているようで、数年前までほとんどの商店などがレシートを発行してこなかったらしい。今はどの店でもレジの前に政府の張り紙がしてあって「レシートを発行しない商品については、顧客は一切支払う義務がありません」と書いてある。ギリシャはドイツからお金をもらって何とか国を保っているけれど、ギリシャの人たちはドイツのことを結構悪くいう。「これ以上年金を下げろだなんて、私たちの生活をどこまで追い詰めれば済むんだ」とか「ドイツのショイブレ財務相は血も涙もない」とか。私から言わせると、周りの東欧の国なんてもっと貧しくてもやっていってるのだからギリシャも我慢して生活の質を下げないといけないんじゃないのという感じだけれど、ギリシャの人は自分たちは被害者なんだという考えが強くて、自分の生活がこれ以上犠牲になることに耐えられないみたいだった。
次の日はもっと早起きして今度こそバスに乗ってメテオラまで辿り着いた。メテオラは14世紀頃に当時の戦乱を避けて逃げてきた修道士たちが住み着き、岩の上に修道院を作って暮らしたところ。地面から伸びる大きな奇岩の上に修道院が立つ様はさながらファンタジーゲームのようで、日本にいた頃からずっと行ってみたいと思っていた。メテオラには7つの修道院があって、今回は時間が限られていたため3つだけ周った。
最初に訪れた大メテオロン修道院は完全に観光地化されていて、看板に書いてあったような「今でも修道士が生活する、生きた修道院」ではなかった。中は博物館そのもので、展示品や模型に群がる観光客に溢れていて何の風情も無く、「これなら現物を見るより写真だけの姿しか知らないほうが良かった」と残念に思った。
でもその後に行ったヴァルラアム修道院やルサヌ修道院はもっとこじんまりとしていて、今でも現役で使われていることが感じられる場所だったので行って良かった。
昔、修道院は完全に下界と隔離されていて岩の上に登るには籠を使うしかなかった。ヴァルラアム修道院には何年か前まで実際使われていた鉄の籠が残っていたし、岩と岩の間を移動するためのケーブルカーのような装置も見ることができた。またタクシー代を節約するために歩くと、メテオラの不思議な地形をゆっくり味わうことができた。
次の日はサキとハルキディキ半島という、テッサロニキから車で1時間くらいのところにある半島のビーチへ泳ぎに行った。 ハルキディキ半島は3つの足に分かれた半島で、私たちが行ったのはテッサロニキから一番近い半島だったけれど、最も遠い3つめの半島にはアトス山という東方正教会の「聖山」があり、その半島はアトス自治修道士共和国としてギリシャ国内にありながらも治外法権が認められている。アトス共和国は女人禁止で、動物の雌でさえ入国できないと昔本で読んだことがある。
サキが連れて行ってくれたビーチはまさに穴場で地元の人しか居なかった。これがギリシャで泳ぐ最後のビーチかと思うとかなり名残惜しい気持ちになった。帰りはレストランで大好きなムール貝を食べた。
2泊の予定で来たテッサロニキには結局1週間も滞在してしまった。テッサロニキに来て一番印象に残ったことといえば、ビザンチン建築でもメテオラでもビーチでもなくサキの家で何枚も何枚もボサノバのレコードを聴いたことだった。こんな良い時間を与えてくれたサキにはとっても感謝している。そうして当初の予定を長々とオーバーして1ヶ月も滞在したギリシャを離れ、イスタンブール行きの夜行バスに乗り込んだ。
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