初めて降り立ったウランバートルは世界の果てみたいな街だった。天高く澄み切った青空には雲が浮かび、地面にはボロボロのアパートが立ち並び、空港から五分歩いた空き地では野良牛がゴミを漁っていた。しつこいタクシーの呼び込みを追い払って、半分舗装されていない埃っぽい道でひとり路線バスを待った。近くでは昼間だというのに酒瓶を片手にふらふら歩いている酔っ払いがいて、治安の悪そうな町に来たなという印象だった。
苦労してみつけたバスは目的地までいかないようで、途中で違うバスやタクシーに乗り換えたりしていたら宿に着くまで2時間以上かかってしまった。バスに乗っていた地元のおばさんから「言葉も分からない旅行者が地元民と同じ交通手段を使うなんて無謀だ、日本から来たのなら裕福なんだからタクシーを使いなさい」と言われて落ち込んでしまった。おばさんの言うとおりなんだけど、これから2年間を予定している貧乏旅行で毎日タクシーに乗っていたら破産してしまう。せめて新しい国に行く前には単語をいくつか覚えておかないといけないなと反省した。
予約していた宿は古いアパートの2階にあった。通された4人ベッドのドミトリーで初めて挨拶したのは日本人のゆきこさんだった。ゆきこさんも同じく仕事を辞めて世界一周の旅をしていて1年間オーストラリアと東南アジアを周ったあと一時帰国し、一週間前から2年目の旅をはじめたベテランだった。旅で初めて会う人が日本人でしかも同じ世界一周旅行者だなんて。すっかり心強くなった私はゆきこさんにたくさん質問して分からないことを教えてもらった。
夜は美味しいと評判のモンゴル料理屋さんに連れて行ってもらった。300円くらいの羊の肉団子スープを頼んだ。羊は匂いが強くて苦手だなんて言う人がいるけれど、今まで気になったことなんてなかった。しかしモンゴルの羊肉は日本で食べるものとは比べものにならない強烈な臭みのある羊肉だった。「モンゴルは基本的に全部羊だね」というゆきさんの言葉に愕然とした。
宿に帰ると今度は宿の温水シャワーが出ないという衝撃の事実が発覚した。どうやらウランバートルでは毎年この時期にに水道管とガスパイプの点検があるようで、1週間くらい冷水しか出ないようだった。冷水のレベルというのもどこから引いてきたのか富士山の雪解け水のような冷たさで、ぶるぶる震えながら髪の毛だけ洗った。なかなかモンゴルは旅レベルの高い国だ。
翌日はゆきさんに市内観光に連れて行ってもらい、ガンダン寺というウランバートル一歴史のあるチベット仏教のお寺やスフバートル広場という巨大な共産主義建築の広場で行われた軍隊のパレードを見学した。翌週には中国の胡錦濤主席が、翌月にはロシアのプーチン大統領がこの広場を訪れるという情報を聞いて、何やら不穏な空気を感じざるおえなかった。
宿に戻った後はモンゴルに来た一番の目的であるゴビ砂漠のツアーに申し込んだ。人数が揃ったので急遽翌朝出発することになったのだった。メンバーは私とゆきこさんと香港の大学生ブライアンとデスモンド、そしてロシア系アメリカ人のアレックスの五人。一食200円出せば定食が食べられるモンゴルにおいて、7日間のツアー代が385ドルというのは非常に高かったけれど、それでもウランバートル中探して一番安かったので宿の主宰するツアーに決めた。
そんなわけでシャワーなしテント泊、モンゴル大草原の旅が始まったのだった。
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