中央アジアの夏から冬まで

皆さん、元気ですか。私も何とかまだ生きています。

最後にブログを更新してから2ヶ月も経ってしまってすみません。本当はもっと更新したかったんですが、いかんせん中央アジアの旅はなかなかハードで忙しく、ネット環境も悪かったというのが言い訳です。

中央アジアで過ごした3ヶ月の日々は、この長い旅の中でも特に色々な出来事や出会いがあり、旅をしていてよかったなと感じることが多くありました。最初にキルギスの首都ビシュケクに到着したのは8月10日のことで、その頃まだ外は焼けるように暑かったのに、一昨日夜行バスでウズベキスタンから帰ってくるとビシュケクの街は雪で真っ白に染まっていました。

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まさか自分が中央アジアにこんなに長い間滞在するとは思っても見ませんでしたが、この地域は意外に見所が多く、一つの町と町の距離がものすごく離れているので観光するのに時間がかかるのです。この記事ではその夏から冬までの日々を振り返り紹介します。その内もっと詳細な記事を書くつもりです。

最初に1ヵ月半滞在したキルギスでは、かなり多くの時間を自然の中で過ごしました。文字通り山しかないキルギスでは、登山やハイキングをするのが一番の過ごし方です。

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中でも一番の思い出はカラクル国立公園で3日間のトレックをしたこと。一人で出発したものの、山の中で多くの出会いがありました。一晩目は山奥のゲルで氷河登山に挑戦していたラトビア人の父子と出会い、夜遅くまで火を囲んでおしゃべりしました。翌日は同じルートを歩いていたチェコ人男子5人組と出会い、一緒に3800メートルの湖まで登りました。彼らとの出会いがなければ私のキルギス滞在はこんなに素晴らしいものになっていなかったと思います。

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また旅を進めるうちにキルギスには山のほかにも、赤土のキャニオンや死海のように浮く塩湖など多彩な自然があることを知りました。

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キルギスに長く居座ったあとは、後ろ髪を引かれる思いで居心地のよかったビシュケクのカウチサーフィンホスト宅を後にし、タジキスタンまで500キロの距離をヒッチハイクで目指しました。道中あまり良くないドライバーにあたり、夜遅く山奥の小さな村で水を買う振りをして車を降りるという出来事があってからは、旅のテンションはだだ下がりで前向きな気持ちを失ってしまいました。だからこそタジキスタンでの最初の目的地カラクル村に到着した時は、その美しさに息を呑みました。湖の端に位置するその村の標高は4000メートルで、澄んだ空気や雪山の白さが天国を思わせる異世界でした。

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タジキスタンに行く目的となったパミール高原では、その地に住む人たちの深い思いやりや優しさにふれてすっかりこの国に魅了されました。タジキスタンは世界的に見てももっとも貧しい国の一つで、パミールでは電気や水道もない集落ばかりでした。農村の人たちの顔に刻まれた深い皺からも、この土地での生活がいかに厳しいものなのか伝わってくるようでした。それでも人々はこの旅で行った国の中で一番親切でした。道を歩いているといつも農作業中の人たちに呼び止められ、畑でお茶や食事をごちそうになりました。また民宿に泊まる時は宿代を節約するために食事をつけずに素泊まりにしていましたが、食事時になると宿の人がトントンとドアを叩いて「これを食べて」と言って温かい食事を持ってきてくれるのでした。この優しさには思わず涙がこぼれました。

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ワハーン回廊というアフガン国境沿いの渓谷を旅しているときは、ベルギーから車でやってきた旅行者と知り合いになり意気投合してしばらく一緒に彼の車で旅をしました。

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彼のおかげで、本来は猛スピードのタクシーで1日半かけて通り抜けていくアフガン国境沿いの地域を、1週間かけてキャンプしながら通ることができました。対岸のアフガニスタンの山間集落では人々は泥で作った伝統的な家に住み、屋根の上には冬の間家畜が食べる干草がピラミッドのように高く積まれていました。電線すら通っていない集落はまるで時が止まっているかのように平和で、その牧歌的な光景はいつまで眺めていても飽きることはありませんでした。私が訪れた1ヵ月後に、同じ地域が大きな震災に見舞われて何百人もの人が亡くなったと聞いてからは、対岸から手を振ってくれた村人たちの姿が何度も頭に浮かびます。

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タジキスタンに3週間滞在した後は、ウズベキスタンのビザを更新しにビシュケクに戻りました。ビザを待っている間訪れたカザフスタンのアルマティでは偶然街中でこの地に15年間住む日本人の建築家と出会いました。その先生は黒川紀章のもとでずっと働いてきた人で、カザフスタンやロシアなど旧ソビエト圏で国際空港やスタジアムの建築をしてきた立派な経歴を持っていました。先生は親切にもどこの馬の骨か分からない流浪者の私と友達を夕飯に誘ってくれて、長く食べていなかったお寿司や海老のてんぷらなど美味しいものをご馳走してくれました。その上、物価の高いアルマティで安宿探しに困っているというと、なんと私たちを事務所で寝泊りさせてくれたのでした。

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旧ソ連式アパートの一室を借りたその事務所はきれいで暖かく、私はつい自分の家のようにくつろいで、ずっとアルマティに居たいと思うほど最高の滞在をさせてもらいました。オイルマネーのおかげで中央アジア一発展しているカザフスタンの街には、欧米のような大型ショッピングセンターやブランド店が立ち並び、ネスカフェじゃないちゃんとしたコーヒーが飲めるカフェやバーガーキングのようなファストフード店が至るところにあり、まるで日本に戻ってきたような感覚で久しぶりの西洋文明を満喫しました。

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10月の中旬にベルギーの友達と別れた後は、ひとり夜行列車に乗って中央アジア最後の目的地ウズベキスタンに向かいました。ガイドブックで見たタイル細工の見事なイスラム建築やエキゾチックな衣装に身を包んだ人々が印象的で、ずっと訪れてみたかった国でした。残念なことに着いた初日から悪天候に見舞われ、翌日はその年の初雪で、暖房のないホテルの部屋で風邪を引き、2週間の滞在中ずっと頭痛と熱と咳に悩まされました。

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ウズベキスタンの観光地は自分が想像していたものとはかなり違っていて、観光客が訪れる旧市街と地元の人が住む新市街の差が激しく、まるでディズニーランドにいるかのようなフェイクさが気に入りませんでした。都市間を移動する長距離列車やタクシーの車窓から想像するに、この国はそのディズニーランド以外には一切見所がない不毛地帯のようでした。それでも確かに観光地はきれいでした。同じ王朝が建てたイランの古都イスファハーンのほうが立派だという意見の人もたくさんいて、確かに自分もそうだとは思うけれど、街の人が穏やかで客引きも少なく、街歩きを純粋に楽しめたのが良かったです。

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3ヶ月に及ぶ中央アジア滞在のあと環境をガラッと変えたいと思い、ついにインドへ飛ぶことに決めました。ビシュケクからは安いフライトが出ていて、悪名高いインドビザもキルギスではなんと5日間、1200円くらいで取れたのです。明日、11月5日に迫ったフライトを前に自分のこころは期待感と恐怖感で入り混じっています。きっとインドに行ったらこの中央アジアの静かさや何もない土地の空虚さを恋しく思うようになるでしょう。世界中で中央アジアほど平和な時間が流れているところはないのですから。

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