二日目の午前中にシャワー屋に行く機会に恵まれ、私は四日ぶりに温水シャワーを浴びることができた。といってもぬるま湯が穴からちょろちょろと出るだけで、日本の風呂とは比べ物にもならないのだけれど、一筋の水を浴びるだけで全身の細胞が喜んでいくような気分になって水の一滴一滴に感謝しながら砂埃を洗い流した。モンゴルに来てからとんだ感激屋になってしまったことが少しだけ恥ずかしくて他の人にはシャワーのことは黙っていたが、その後知り合った別の国の旅人も同じことを感じていて、その喜びが分かり合えたときはとても嬉しかった。
彼は「人がいかに小さなことで幸せを感じることが出来るか、考えさせられるね」と言った。「現代人はもうちっともこんなことじゃ満足することなんてできなくて、いつももっともっと多くのものを欲しがる。でもモンゴルの遊牧民は違う。必要最低限の家財道具だけを持って家族や家畜を大切にして毎日を生きてる。決してそれ以上は欲しがらない。ちゃんと自分の幸せが何か知ってるんだね。」私は彼らの暮らしを体験しながら、人生において本当に大切なものは何か思い出していた。
その日の午後はヨドバレーという国立公園へ行き、トレッキングをした。この公園でジープは完全オフロード走行となり、砂漠や急斜面や川までをも悠々と越えた。一度も後ろから押すこともなく、すごい安定感をみせた。エアコンも付いていなくて、風を通すために壊れた窓ガラスとフレームの間に空のペットボトルを挟んでおかないといけないぐらいのオンボロが何故まだ活躍しているのか分かった。間違いなく車史に名を残す最も強靭な車の一つに数えられるだろう。
夕方になると谷の奥深くいったところにある小川のほとりでテントを張った。夕飯にはガイドのドギーが焼け石で羊肉と野菜を煮てくれて、皆で輪になって川の水で冷やしたビールで乾杯した。私以外の皆は星空を見ながら寝たいといって冷え込んだ地面に寝袋だけ敷いて寝た。
三日目は五時間かけてこのツアーのハイライトに向かった。全く同じ景色の中を三時間ほど走ると草原の中に突如として砂丘が現れた。走れば走るほど砂丘は大きさを増していって、巨大な山のようにそびえたっていた。
空気はひどく乾燥していて焼けるような暑さだった。日中に砂丘に登るのは無理なので、暑さが和らぐ夕方まで時間を潰した。砂丘の隣の沼地だったところを散歩していると、地面は日干し煉瓦を割ったかのようにカラカラにひび割れていて乾季のサバンナを思わせた。モンゴルという国は一般的な草原のイメージの他にも色々な顔を持っていて、その全てが桁外れに壮大で私たちを魅了した。
夕暮れが近づくと駱駝の背中に乗って登るべき砂丘のポイントまで向かった。麓に立って上を見上げると、砂丘の頂上には米粒のように小さい人の影が見えた。いつしか夕焼けを頂上から見ることが目的になっていたので、駱駝から降りると皆一目散に駆け出した。砂はとてもきめ細かく、一歩登るごとに足元の砂が崩れ落ちていって全然歩が進まないうちに夕暮れが近づいてきた。はあはあと息をするごとに口の中がカラカラに乾き、心臓が痛くなりながら必死で登ること40分ようやく頂上に立った。夕日はもちろん綺麗だったが、それよりも振り返った時に地平線が丸くなっていたことが印象的だった。誰もいない、空と砂漠が広がっているだけ。他の惑星に来てしまったかのように。
帰りは最高に楽しかった。自分が履いている靴だけで、スキーのように滑らかに砂丘を滑り降りた。ゲルに戻ると体がくたくたに疲れ果てていて泥のように眠った。朝起きると皆目の下にくまを作っていた。聞くと、夜中じゅうゲルの横にいた犬が大声で吼え続けて眠れなかったらしい。しかもその犬は布一枚隔てて私の枕元で吼えていたそうで、よく寝られるねと感心された。私は元々とんでもなく神経質な性格で、10年以上も不眠で悩まされていたのだが、旅に出てどこでも寝られるようになったことは何よりも嬉しかった。それは私にとってどんなお金よりも物よりも価値があることだった。
四日目はフレーミングクリフという小さなグランドキャニオンのような所を訪れたあと、歴史あるチベット仏教のオンギ寺院遺跡を訪ねた。そこは昔は何百人の僧侶を抱える仏教の学校だったらしいが、モンゴルを共産主義に導いたチョイバルサンが1939年に権力を握ってから僧侶たちは殺されて今では崩れ去りそうな遺跡だけ残っている場所だった。
夜は川沿いのキャンプサイトでゲルに泊まった。道の向かいにはお金持ちの観光客向けの大きな宿泊施設があり、敷地にはゲルの形をしたキャビンが所狭しと並んでいた。そこでツーリストプライス500円くらい払って二回目のシャワーを浴びた。もう最初のような感動はなかった。
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