大地に生きる

ゴビ砂漠ツアー5、6、7日目

五日目は「聖なる山」を訪れた。昔からその山には神様が住んでいると崇められていて、山に登ることも、その山の近くでその山の名前を口にすることも禁じられていた。山の麓には川が流れていて、馬が何頭も顔を寄せ合って水を中心に美しい輪を作っていた。時々頭やしっぽを振ったりして相談事をしているようにも見えた。馬が輪になっている絵なんてファンタジーでしか見たことがなかったので、山よりもこちらのほうが神聖にみえた。

the sacred mountain
聖なる山
hills painted with sunset
夕焼けに染まる丘

午後は遊牧民の家族の下を訪れた。モンゴルでは歓迎のしるしとしてヤギやラクダや馬の乳が客人に振舞われるのだが、エルクと呼ばれる馬の乳は特に強烈だった。ただでさえ強烈なのに遊牧民は絞りたての乳を、バケツに溜めてある古い発酵した乳と混ぜて何時間も棒でかき回したあと、吉野家の牛丼並みのどんぶりになみなみと注いで笑顔で差し出すのだった。

古いミルクと新しいミルクを何時間も混ぜる
古いミルクと新しいミルクを何時間も混ぜる
ミルクは皮で出来た袋の中に保存される
ミルクは皮で出来た袋の中に保存される

手に持つとどっしり重く、鼻を近づけるとチーズが腐ったみたいな臭いがした。しかも絞りたての乳が混ざっているため、ほんわりとした生暖かい空気が顔を包んだ。既に一口も飲みたくないところだが、彼らの最高のおもてなしなので勇気を出してぐっと飲む。口に含んだ乳は強烈なアンモニアの匂いを放ち、飲み込むのも精一杯だ。なんで乳なのにアンモニアの匂いがするんだという疑問をぐっと堪えて「うん、濃い味がしますね」と社交辞令の笑顔を作った。遊牧民の家族はにっこり笑い、ガイドのドギーは「家族の好意なので必ず飲み干してね。でも女の子は無理しなくていいから」と言った。それでも飲むのが礼儀だろうなと考えて、最後はむせかえりそうになりながら丼を飲み干した。皆に「よく飲んだな」と親指を立てられると、私はちょっと誇り高い気分になった。

ここからお玉ですくって振舞われる
ここからお玉ですくって振舞われる

ドギーから聞いた話によると、昔から遊牧民たちは冬は食べ物をほとんど食べずに馬の乳だけ飲んで過ごすらしい。栄養価が非常に高いそうで、それだけ飲めばお腹がいっぱいになるとのことだった。現に私は飲んでから4日間ぐらいほとんど空腹を感じなかった。同時に1週間ぐらい下痢が止まらなかった。他の皆も同じ症状に苦しんでいて、今までにない連帯感に包まれた。家族のおもてなしを受けたあとは牛の乳絞り体験をさせてもらい、夜は草原にテントを張って寝た。

テントで迎える朝
テントで迎える朝

六日目はテレルジ国立公園の中の観光客であふれた山間の町で乗馬をした。周りには大型バスで乗り入れた観光客がたくさん来ていて、日本人の団体もいた。今まで草原や砂漠で過ごしてきた朝や夜が終わっていくのが感じられて悲しかった。一人で乗る馬は楽しかった。馬から見る風景はのどかで、ゆっくりと過ぎ去っていった。空には太陽が差し、柔らかい風が吹き、モンゴルという国の美しさが目に沁みた。何時間か乗馬をした後、夕飯を食べ夜は皆ゲルの中で遅くまでサイコロのようなゲームに興じていた。

テレルジの「亀の岩」の前にて
テレルジの「亀の岩」の前にて

最後の夜は良いツアーメイトに恵まれたことに感謝しながら眠りについた。このツアーはとても過酷で、座っているだけで汗をかくような暑さのなか毎日10時間くらい狭い座席に向かい合っていないといけなかった。ゲルの中の固くて狭いベッドでは完全に疲れを取ることができなかったが、それでも毎朝早起きしないと次の目的地に間に合わなかった。そして移動が長いため夜も遅かった。唯一の楽しみである食事は油っこい羊肉ばかり。だいぶ参っていた時にふとしたことがきっかけで、私はアレックスに対しかなり腹を立てて車の中の雰囲気を悪くしてしまった。それでもそんな私を皆はまた暖かく迎え入れてくれて、冗談を言って笑わせてくれた。このツアーメイトたちがいたからこそ私はモンゴルを楽しく旅することができた。

草原で飼われていた仔馬
草原で飼われていた仔馬

最終日は午前中にまた何時間か乗馬で散歩し、午後はチンギスハーン像を見に行った。チンギスハーン像は数年前に建てられた巨大な鉄製の像で、人型の建築物としてはブラジルのコルコバードの丘にそびえるキリスト像についで世界で二番目に大きかった。中に入って記念写真を撮ったあとまたジープに乗り込むとあっというまにウランバートルの宿に着いた。

チンギスハーン像
チンギスハーン像

7日間お世話になった明るいガイドのドギーとドライバーのガンゾリックにお礼を言って別れを告げた。ガンゾリックは20代前半で若いのに頼もしいプロのドライバーだった。毎日灼熱の砂漠や草原のオフロードを10時間以上休憩もそこそこに運転して、汗をかくと家畜の水のみ場から汲んできた水を頭からかぶって冷やし、砂漠の真ん中でタイヤがパンクした時は迅速な手つきでそれを直し、夜は車の中で毛布をかぶって寝て、世界で一番好きな食べ物は何と聞くと「馬のミルク」と答える、モンゴル人のたくましさと謙虚さをそなえた草原の男だった。

そんなガンゾリックはツアー中にいつの間にか私のことを気に入ってくれたようで、私と別れた後に駐車場で泣いていたことをアレックスから聞かされた時は本当に申し訳ない気持ちになった。彼の純真さに比べると私はすっかり汚れきってしまっていて、彼の気持ちに値するような人間ではなかった。

ガンゾリック
ガンゾリック

宿に戻ると何もかもが日常に戻った。部屋は暖かく、ベッドはふかふかで、相変わらずシャワーは冷水のままだったけれど水はいくらでも出た。毎日濃い時間を過ごしたツアーメイトたちともインターネットが繋がるようになってからはあまり話すこともなかった。もう木の棒を二本渡しただけの蝿が百匹たかっているトイレで息を止めることもないし、毎食羊肉を食べることもないし、水不足できちんと洗えないために使うたびに前食べたものの味がする食器で食事することもなかった。でもそんな不自由さは思い出を一層際立てて、この旅をかけがえないものにした。それにモンゴルの大自然の素晴らしさを目の当たりにすると、言葉も出ないようなことばかりで、不便さなんてちっぽけなことのように思えた。

屋外トイレ
屋外トイレ

私は結婚する予定もないのに子供ができたら必ずモンゴルに連れてこよう誓った。遊牧民たちの、必要最低限の物しか持たない暮らしや決してそれ以上は欲しがらない謙虚さにふれることができて良かった。都会の人でさえ親切な人が多く、はにかみながらいつも優しい笑みを浮かべていたことが印象的だった。

一家の全家具。テレビは衛星放送。
一家の全家具。テレビは衛星放送。

ウランバートルで一日休んだあと、ゆきさんや他のツアーメイトに別れを告げた。ゆきさんはこの後中国を経由してチベットへ、アレックスは馬でウラル山脈を越えてカザフスタンへ、ブライアンとデズモンドは香港へとそれぞれの道に戻っていった。私は荷物を引いて駅に向かった。大勢の人がごったがえすホームに私の電車が停まっていた。ロシア行きのシベリア鉄道だった。

大地に生きる
大地に生きる

 

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