モンゴル人のおばさん車掌にパスポートをチェックされた後、深緑色の車両に乗り込んだ。中の通路には派手な昭和風の絨毯が敷いてあり、窓には下半分だけの赤いペーズリーのカーテンがついていた。二等コンパートメントに入ると、赤いベッドが上下段に二つずつ設けられていて、間の折りたたみテーブルにはカーテンと同じ赤い生地のテーブルクロスが掛けられていた。何十年も変わっていないだろう車内からは汽車で旅をするのが贅沢だった時代の雰囲気が感じられた。
やがて同室の女の子が一人やってきた。モンゴル人のアーニャはモスクワ生まれで、今もモスクワの大学でエンジニアになる勉強をしている。毎年1回家族に会いに帰省する際は、飛行機より格段に安いシベリア鉄道に乗っている。それまでシベリア鉄道といえばお金持ちが乗る高級列車のイメージしかなかったけれど、ウランバートルからモスクワまでの切符は窓口で1万円以下で買える。距離を考えると破格の値段だ。但しこれは途中下車なしの場合だけで7日間ずっと汽車から降りることはできない。
窓の外にはアーニャのおじいちゃんやお母さんが見送りに来ていて、手を振ったり電話越しに最後の別れをしている。私は流暢な英語を話すアーニャがいることですっかり安心し、チョコパイを食べながら出発を待った。アナウンスもないまま汽車が突然動き出すと、外の家族からはわっという悲鳴があがり泣き出す人もいた。アーニャは窓枠に身を乗り出して何度も手を振った。彼女の目がうっすら滲んでいるのをみて私もなぜか貰い泣きしてしまった。他の同室者も二人ともモンゴル人の学生で、ウクライナのキエフで医学を勉強しているクリスという女の子とロシアのノボルシビスクでエンジニアの勉強をしているバチャという男の子だった。二人とも共通言語はモンゴル語とロシア語で、私とは片言の英語で会話した。皆明るくて優しかった。
この汽車に乗っているのはモンゴル人の学生と商人だけだった。商人はロシアで売る為の羊毛の靴下や安い中国製の服などをあふれるほど大量に持ち込んでいた。一人で持つと国境を越える際に税関で高い関税を支払わないといけないので、学生たちに小銭を渡して学生のコンパートメントにも隠してもらっていた。アーニャたちはお金を受け取らなかったが、50足位の靴下や偽物のナイキのグッズをスーツケースの奥にしまい、カシミアのコートは私物に見せかけてフックに掛けたりと図々しい商人に協力してあげていた。時々意味もなく商人や他の学生がドアを開けて入ってきたりして車内は全く落ち着きがなかった。皆でお菓子を分け合いながら、汽車は草原を走った。沈む夕日に丘陵がオレンジ色に染まり、私はモンゴル最後の景色を名残惜しく眺めた。
やがて外は真っ暗になり、私は夕食代わりにカップ麺を食べた。アーニャたちは7日間分の食料をベッド下収納にたくさん詰め込んでいてなんでも分けてくれた。ビニール袋いっぱいに入っている羊肉の揚げ餃子、クリスのお母さんの自家製のキムチ、ジュース、ソーダ、お菓子などなど。途中の駅のホームには売り子がやってきていて、窓の外から威勢のいい呼び込みをしてまわった。バッチャは肉団子のスープを買った。売り子は家で作ったスープをジャムの空き瓶に入れて、新聞紙で包んで渡した。分けてもらったスープを飲みながら羊肉も食べ収めだと思うとほっとした。
夕飯のあとはバッチャがパソコンにダウンロードしてきたハリウッド映画をアーニャと3人で見た。コンパートメントを締め切って、小さな読書灯だけに照らされた室内は古めかしい装飾とあいまって小さな図書館のようだった。窓の外には星空が流れていき、銀河鉄道の夜を思わせた。私は興奮して「隠れ家みたいでどきどきするね、すごく楽しいね、こんな汽車に毎年乗れるなんて羨ましいなぁ」というとアーニャたちは「もう何年も乗ってるから慣れちゃった。7日間も電車に乗ったきりなんて本当うんざりだよ」と疲れた様子だった。
夜中の二時にモンゴルの国境に着き、係員が大勢乗り込んできてパスポートを回収していった。一時間くらいしてパスポートにスタンプが押されて返却されたあと、もう1時間待ってようやく汽車は出発した。そして何十分か真空地帯を走ってロシアのナウシキ国境に着き、今度はロシアの入国審査官が犬を連れて10人くらい乗り込んできた。
初めて見るロシア人は皆色素が薄く、身体が大きくて、ロシアでしか流行らないような前髪や刈上げが特徴的な髪形をしていた。日本人と顔が同じのモンゴルから全く違う国に来たことを感じた。ベッドに寝転がって待っているとアーニャから服を着て立つように言われた。モンゴル出国とは全く違う緊張感があった。ドーベルマンを連れた2メートルぐらいある男性審査官が入ってきたので、私は覚えたてのロシア語で「ズドラーストヴィーチェ」と挨拶をしたが氷のような瞳で無視された。うーん、ロシアに来たなぁと感心していると荷物検査が始まった。審査官は私たちにスーツケースを全部開けさせて中身を入念にチェックした。アーニャたちが商人に託された品物が見つかったらどうしようとドキドキしたが幸いなことに何も咎められる事はなくパスポートだけが回収された。
ロシアは表向きには個人旅行が認められておらず、必ずツアーを組んで旅程表を提出し「招待状」という紙を現地の旅行会社に発行してもらわないとビザが下りなかった。しかし私にそんなお金はなかったのでインターネットで調べたロシアの旅行会社に架空の招待状を2千円で発行してもらった。それを東京のロシア大使館へ持っていくとビザを貰うことが出来たが、果たしてインチキがいつばれるかハラハラしていたので無事ロシアに入国することが出来た時はようやく胸を撫で下ろした。合計4時間に及ぶ出入国審査は明け方になってやっと終わり、私はようやく眠りについた。
太陽の光で目を覚ますと、窓の外には海が広がっていた。でも海だと思ってみたものは対岸の見えない巨大な湖だった。ついに世界で一番深くて世界で一番透明な湖、バイカル湖をこの目で見られる時がきた。私は嬉しくて嬉しくて寝ている皆を起こしたい衝動に駆られながら、吸い込まれそうに美しい湖に夢中になった。汽車と湖の間はわずか5メートルくらいで人の影どころか遮る物は何もなかった。汽車の中は静まり返っていて、小さな波の音だけが聞こえた。千と千尋のワンシーンみたいだ。残念ながら日本で友達にプレゼントしてもらったコンデジはゴビ砂漠の砂丘に登ったときに壊れて動かなくなってしまったので、画質のいまいちなアイフォンで写真を一枚だけ撮ったあと、自分の目に焼き付けるように何時間も眺めた。特別な景色だからこそ写真が無いほうがより心に残るのかもしれない。
ところで私は今日の11時にイルクーツクで途中下車して、川からフェリーに乗ってバイカル湖を訪れる予定だ。さっきから何時間も湖を見ているけどいつイルクーツクに着くんだろう。一体今は何時なんだろうと思って車掌に尋ねると「わからない」という。「わからないってどういうこと」と問いただしてもモンゴル人の車掌には英語が通じず起きてきたアーニャに助けを求めた。
「シベリア鉄道を走る電車は全部モスクワ時間で運行されているから、11時に着くっていうのはイルクーツク時間の4時に着くってことよ」なんてことだ、私はシベリア鉄道の本まで持ってきて毎日穴が開くほど読んでいたというのにそんな基礎知識すら読み過ごしていたなんて。今日のフェリーは諦めざるをえない。もう一つ気になっていたことを聞いてみた。「アーニャ、これってシベリア鉄道なんだよね。私の持ってる本にはこの汽車載ってないんだけど」というとアーニャは、「これはシベリア鉄道じゃなくてモンゴルの電車がシベリア鉄道から同じ鉄道を借りて運行してるの。だから乗客も乗員も全員モンゴル人しかいないでしょ。でも広範囲の意味では一応シベリア鉄道に含まれるみたい」といってウィキペディアを見せてくれた。少しがっかりしたけど、アーニャたちのような優しいモンゴル人学生と同室になって私の汽車旅は本当に楽しいものになった。イルクーツクで降りる際は皆が電車の外まで見送ってくれて、アーニャとは一週間後にモスクワで再会する約束をしてシベリア鉄道を降りた。
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