サンクトペテルブルグ~ロシア帝国の美~

苦労して手に入れた切符を持ってモスクワ発サンクトペテルブルグ行きの夜行列車に乗った。ウランバートルからはずっと二等寝台に乗っていたが、今日の電車はプラッツカルタと呼ばれる三等寝台だった。プラッツカルタは席が少ないうえ安くて人気なのですぐ売切れてしまい、今までは買うことが出来なかった。二等寝台と違うのは4ベッドごとのコンパートメントに別れてなくて、一車両まるごと開放寝台になっているところだった。54人部屋といった感じで賑やかだった。ベッドは3段ベッドになっていて、起き上がると上のベッドに頭をぶつけるので常に寝た姿勢でいないといけなかった。

庶民的な三等車
庶民的な三等車

夜9時に発車した電車は翌朝5時にサンクトペテルブルグ駅に着いた。しかし私は熟睡しきっていて着く10分前に車掌に文字通り叩き起こされた。あわてて着替えながらメガネがないことに気がついた。シーツや毛布をひっくり返してもどこにもない。カバンの中にしまったのかなと思いながら、促されて電車を降りた。しかしメガネはどこにも無かった。仕方なくスペアとして持ってきた古い度が合わないメガネをかけて、ぼんやりとした視界でまだ真っ暗なサンクトペテルブルグ市内に向かった。コーヒー屋で夜が明けるのを待って、予約していた宿まで歩いた。

Arriving in St. Petersburg. In Russia the stations are named after the destinations; this is Moscow Station
サンペテ到着。ロシアでは行き先が駅の名前になっている。これはモスクワ駅。

サンクトペテルブルグは完全にヨーロッパの町並みだった。建物は明るい色で塗られて、ベランダは花でいっぱいだった。モスクワのような暗さが全くなかった。街の中には縦横無尽に運河が走り、遊覧船が行きかった。

華やかな町並み
華やかな町並み

観光地の中心に位置する宿は私の普段の予算の3倍の値段だが、バイカル湖で出会ったアレクシアやロマーナにおすすめされたのでそこにした。まだ朝の7時でチェックインは2時からだというのに、ベッドを掃除して通してくれた。ドミトリーは一つ一つのベッドにカーテンがかかるようになっていて、プライバシーが守られていた。ベッドの下は鍵付の荷物入れになっていてその中にも電源があり、留守中もカメラなどを充電できる親切設計だった。週に何度かイベントもやっていて、私がいる間は自家製のアップルパイやスパゲティーが振舞われるイベントがあった。

ソウルキッチンホステル
ソウルキッチンホステル

私はスタッフに電車でメガネを無くしたので落し物センターに連絡したいと伝えたが、ロシアには「落し物センター」なるものはないと言われて打ちひしがれた。メガネはそのうち新しく新調することにして、観光に出掛けた。その日は普段入場料が2000円くらいするエルミタージュ美術館が無料観覧の日だったので、行列に並んで入った。中にはロシア美術の至宝がたくさん飾ってあった。中は迷路のようで迷いながら3時間見て回ったが、あとから聞くところによると私は棟をひとつ完全に見過ごしていたらしい。どうやら代表作品はほとんどその棟にあったようだ。

エルミタージュ美術館
エルミタージュ美術館
美術館の中
美術館の中
黄金の部屋
黄金の部屋

次の日はカザン大聖堂で結婚式をあげるカップルを見学したあと、血の上の救世主教会に向かった。血の上の救世主教会は全ての壁面が細かいモザイク画で飾られていた。何年か前にモザイクを張りなおす大改修が行われて、色彩はとても鮮やかだった。面白いのはどのモザイク画も少し日本のアニメやRPGゲーム風の絵だったこと。きっと大改修の時の責任者がアニメオタクで日本の影響を受けたに違いない、と思ったがそんなはずはないだろう。

伝統的な結婚式
伝統的な結婚式
血の救世主教会
血の上の救世主教会
この色使い
この色使い
ファンタジーの世界
ファンタジーの世界
圧巻だった
圧巻だった

夕方はイサーク大聖堂の塔に登って夕日をみた。大聖堂はあまり高くなかったので見晴らしが悪いことが残念だった。大聖堂の中は色鮮やかな大理石や巨大なシャンデリアで飾られていて、イタリアの教会を思わせた。夕飯はスーパーで野菜を買って宿で食べた。

イサーク大聖堂
イサーク大聖堂
クーポラからの眺め
クーポラからの眺め
大聖堂の中
大聖堂の中
緑色の大理石
緑色の大理石
美しいシャンデリア
美しいシャンデリア

同じテーブルに座っていたトルコ人のハカーンやアメリカ人のアキオと知り合い、話をした。ハカーンはビジネスマンで休暇でロシアに来ていて、アキオは夏休み中の学生だった。「アキオって日本の名前だよね」と聞くと、「そうなんだ。うちの親父が寝ていたら夢に神様がでてきて、子供の名前をアキオにしろって言ったんだ。起きて調べてみると日本の男の子の名前で明るい男っていう意味があることが分かって、それでアキオに決まったんだ。」面白い名づけ方だなと感心した。

翌日の土曜日はハカーンの呼びかけでウデルニ公園のフリーマーケットに行った。ハカーンはアンティークが大好きで旅行に行くたびに各地のフリーマーケットをまわるのが趣味らしい。フリーマーケットには旧ソ連グッズがたくさんあった。帽子、バッジ、パスポート、戦争のメダル、これを売った人はどんな気持ちで手放したのだろうと考えざるをえなかった。家からかき集めたものを売っているおじいさんやおばあさんがたくさんいて、アキオは「この人たちを見ているとちょっと胸が痛むね」と言った。私はホウロウで出来た古いマグカップを一つ買った。

フリーマーケット
フリーマーケット
宝探し
宝探し

昼食に美味しいロシアンパイを食べたあと午後はロシア美術館に向かった。中は見たことのないロシアの画家たちの絵で埋め尽くされていた。ハカーンもアキオも絵に詳しくて、色々解説してくれながらゆっくりみてまわった。夜はアメリカ人のディアンも加わり、皆で夕飯を作った。一人で来たはずのサンクトペテルブルグもこうして仲間ができて、ロシア最後に良い思い出ができた。賑やかで楽しい時間はあっという間に過ぎて、私は3人にお礼を言ってからバスターミナルに行った。これから夜行バスでエストニアの首都タリンに向かうのだった。

ロシア美術館
ロシア美術館
ハカーンお気に入りの一枚
ハカーンお気に入りの一枚
素敵な仲間たちと
左からハカーン、ディアン、アキオ

私はバスに乗りながら16日間に及ぶロシアの旅を反芻した。それにしてもなんと多様性を持つ国だろう。イルクーツクでは海のようなバイカル湖を見た。何キロ歩いても人影ひとつなく、太古から時が止まっているような場所だった。シベリア鉄道の車窓からは何日もタイガの森だけを見た。この森の中で迷ったら二度と誰にも会えないような深い深い森だった。モスクワではかつて世界を半分に分けた国の首都を見た。街全体が旧ソ連の博物館のようで、そこに生きる人々はまだかつての王国に住んでいるようだった。サンクトペテルブルグではソ連以前のロシア帝国の美にふれた。ロシア芸術のなんと豊かなこと。絵画、建築、音楽、文学、どれをとってもロシアに敵う国はないんじゃないだろうか。

結果的にロシアに来ることができて良かった。隣国でありながら謎に包まれたことが多い国で、特にウクライナでの衝突があってからは戦争をはじめそうな気がして正直来る前は怖い気持ちがあった。観光地以外の場所がどういうふうになっているのかも、そこに住んでいる人たちがどんな人たちなのかも全く想像がつかなかった。旅を終えた今でも、あまり地元の人たちとの関わりがなかったので未だに分からないことが多い。でも他の国と比べてかなり変わっているということだけは実感した。ヨーロピアンな外見からフレンドリーさを期待すると痛い目にあう。でもアーニャはロシア人は最初はとっつきにくいけど、親しくなるととても温かみがある人たちで大好きだと言っていた。次にロシアに来る時はもっとロシア人と仲良くなって、より深い旅の経験ができるといい。

旅人との出会いに恵まれた国だった
旅人との出会いに恵まれた国だった

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