グルジア~灼熱の再訪、今度は好印象なるか~

グルジアに来るのはこれが二回目で、初めて来たのは去年の10月イランを目指してコーカサス地方を周っていた時だった。正直言うと今まで旅してきた中でグルジアは最も好きになれなかった国でもう二度と足を踏み入れることはないと思っていた。理由は人があまり好きになれなかったこと。その他には不満は無く、美しい山が連なる自然豊かな国だと思う。

語弊がないように書くと、勿論いい人だって沢山いる。去年はトビリシで素敵な友人もできた。ただ観光業に携わっている人たちのがめつさやアグレッシブさが他の国よりずば抜けていて、その牧歌的な光景に合わないのだった。ソ連崩壊以降グルジアの経済は低迷を辿っていて、観光客よりお金を巻き上げるしか生きていく方法がないのかもしれない。しかしそんな彼らと争った幾つかの経験は、雄大な山や色とりどりの自然の美しさが色褪せてしまうほど私の気持ちを落ち込ませた。

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それでもまた戻ってきてしまったのは、ヒッチハイクの成り行きとアリョーナと離れて一人旅に戻るのが寂しかったからだと思う。グルジア初日の朝はホテルをチェックアウトして古城を見学しに行った。途中でスーパーに寄って昼ごはんを買った。アリョーナは目の前に突然現れたロシアの食べ物の数々に興奮していた。新しい国に来たのに、そこで人々が自分の母国語を話し同じ食べ物を食べているのはさぞかし不思議なことだろう。私はデリコーナーでお惣菜を買った。グルジア料理は有名で味も良かった。

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古城は最近新しく何もかもが建てかえられたらしく、きれいすぎて何の面白みも無かった。昨晩タクシーの窓から見た時は「こんなに大きなお城が最高の保存状態で残っているなんて信じられない」と驚いたのにそれは幻想だった。ディズニーランドと全く変わらなくて残念。

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午後からまたヒッチハイクでボルジョミという、炭酸水が湧くことで有名な小さな町に向かった。夏でも涼しいので保養地としてロシア人や地元の観光客で賑わっていた。何台かヒッチハイクを繰り返す中、言葉が分かるというのはそんなに良いことでもないかもしれないと気付いた。アリョーナは好奇心旺盛で何でもかんでも知りたがるグルジア人ドライバーと途絶えることなく喋っていないといけなかったし、彼らの多くはアリョーナと個人的に親しくなることを望み、車を降りた後も何回も電話やメールをよこした。私は全く蚊帳の外だったのでそのうち後部座席で居眠りすることが多くなり、アリョーナを怒らせた。自分も逆の立場だったら激怒していると思う。

ヒッチハイク中のもう一つの発見は、グルジア人の運転マナーの悪さだった。今までは反対車線を120キロ超で飛ばすことが日常茶飯事のトルコが最悪だと思っていた。でもそんなもの、グルジアに比べたら大したことは無い。グルジアには高速道路というものが無く、子供が遊ぶ民家の前を走る道が町を出た途端「ハイウェイ」に変わる。舗装も途中途中の道は幅が狭く、山が多く先が見えない土地をくねくねと蛇行する。グルジアの農家のほとんどが牛を道に放しているのに、ドライバーはそんなことお構いなしに自分の前に走る車を一つ残さず追い抜かそうとアクセル全開で山道を爆走する。

何度ぶつかると思ったことか。いつも助手席に座っていたアリョーナは覚悟して目をつぶったことが何回かあるという。あるドライバーは自分が助手席に座ったまま、誰も座っていない運転席に片手を伸ばして別の片手でそれを撮影しながら走るというビデオを得意げに見せてくれた。ナイトクラブも、ショッピングモールも、映画館も何も無い。グルジアの田舎では楽しみというのはこういうことだった。

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ボルジョミでは年老いたおばあさんの家に民泊した。町を歩いていたら丁度その息子であるタクシー運転手に声を掛けられ安い値段に魅力を感じたのだった。家はグルジアの伝統的な造りで、大きなバルコニーが特徴的な広い家を何家族かでシェアする長屋風スタイルだった。庭には鶏、あひるをはじめとして食用と思われるウサギなどが放し飼いにされていた。おばあさんはナノリといい、本棚にずらりと並べられた書物やwifiのパスワードが「ストラヴィンスキー」であることからしても大分教養のある人なのだということが見受けられた。

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1週間ほど弾丸移動を繰り返していたので、ここで少し休みパソコン作業などに専念することにした。アリョーナは翻訳の仕事に打ち込み、私はクラウドファンディングのページを作った。どちらか手の空いている方が昼ごはんや夕飯を用意し、お互いが作業に集中できるよう環境を作りあった。何日か、近所の売店に野菜を買いに行く以外外出はしなかった。それでも緑が多く、落ち着いていて静かなボルジョミという町がとても気に入った。

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ナノリは私たちのことを気に入り、よく手作りのおやつやフルーツを切って振舞ってくれた。タクシー運転手の息子は気の乗らない私たちを何度もしつこく外に誘った。彼は観光ビザで入国したスペインに9年居座り、不法労働していたところを去年見つかり、強制送還されたらしい。アリョーナは「こういう人たちがいるから旧ソ連各国の人たちのEU入国が厳しく制限されるのよ」と、大きすぎてシャツが暖簾のように前に垂れ下がった彼のビール腹を憎憎しく見つめた。これがグルジア人メンズの特徴的ルックで、皆シャツで隠しきれない腹をズボンの上から覗かせていた。だらしないどころではない。

トルコから入国した最初の晩、たまたま赤ん坊の洗礼式のお祝いに招かれてワインを飲まされた後そのグラスを床に叩きつけて割らされそうになった。「割ってごらんよ!パーティーでグラスを割るのが俺たちの伝統なのさ」と絡んできた酔っ払いの後ろで、何人かの男たちが一斉に持っていたグラスを床に叩きつけて大笑いしていた。その様子を見て、トルコでの2ヶ月間一度も酒に酔っている人を見たことがないことに気付いた。皆結構飲むのに、飲まれることがないらしい。一気にトルコ人男性に対する尊敬の念が沸いた。

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パソコン仕事が終わった数日後はヴァルツィアという大きな洞窟修道院跡に足を運んだ。私たちを乗せてくれた家族連れはとても親切で、自分たちの目的地を遥かに過ぎて私たちを送り届けてくれた。また途中の遺跡で車を止めて、歴史の説明をしてくれたりもした。

修道院は確かに規模が大きく素晴らしかったものの、その前にカッパドキアを見てしまった私たちには全て同じに見えてあまり大きな驚きや新鮮な感動は無かった。先にこっちを見ていたらすごく感激していたと思う。

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帰る頃にはもう日が落ちていて、道には車一台走っていなかった。心配し始めるアリョーナを横に、私は楽観していた。旅行に出てから私は結構でんと構えるようになって、いつもどんな時も「何とかなる」と思えるようになった。絶対に車は来るはずだ。

結果的に30分後、私たちと同じ方向に戻る家族連れの車に乗せてもらい、ホテルまで送ってもらうことができた。私は盲目的な楽天家になった訳ではないけれど、日常の多くのことは心配に及ばないことが分かってきた気がする。何年か前まではそれが分からなくて、いつも心配してうまくいかなかったらどうしようと考えてばかりいた。それがなくなってからは毎日ストレスが少なくなりリラックスできるようになった。年を取る事は悪いことばかりじゃないみたいだ。

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ボジョルミのナノリ宅で6泊充電したあと、人口18万人のグルジア第二の都市クタイシに向けて出発した。タクシー運転手の息子が5泊分だけ請求してきたので私たちはあえて訂正せずにそれだけ払い玄関を出た。外に出てからアリョーナは「私気分が良くないわ。老婆を騙しちゃったんだもん。ひどいことをしてしまった」と言って俯いた。私も彼女に同意したが戻ることなく町を出た。

その午後クタイシに着いて荷物を広げると、パソコンの充電器がないことに気が付いた。その日から10日間パソコンなしで生活した上イスタンブールで何時間も歩き回り、高い値段を払って粗悪品の充電器を買う羽目になった。カルマである。

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クタイシは焼けるような暑さだった。気温は39度で湿気もひどかった。群馬県高崎市といったところか。暑さで頭がぼんやりとする。アリョーナが連絡してくれていたカウチサーフィンホストはウクライナ人で、今まで見たどんなホスト宅より汚かった。家から出た空き瓶、使い捨て食器、卵のプラスチック容器など全てを天井からぶらさげたり、床に積み上げアートのように飾っていた。他に3人のカウチサーファーが泊まっていたので私たちは床に寝るしかなく、しかも泊めて貰う条件が「家の掃除をすること」だったので、丁重に断り安宿に移った。

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宿は沢山あったにも関わらず、探すのが大変だった。インターネットに掲示している価格の倍を請求してきたり、安い部屋の存在を最後まで隠したり。ある女主人は私たちが少し値切ろうとすると「水道と電気を山ほど使うくせに値切るんじゃない!」と怒鳴って、両手で門から外に追い出された。一人も客がいないくせにこんな態度を取るなんて、グルジア人はどうかしていると思う。

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ようやく安宿に移ると、そこで出会ったフレンドリーなリトアニア人のカップルに誘われてハーブから作ったお酒を飲み、何時間か話して寝た。翌朝は市場に行き、グルジア独特のチーズとお菓子を買った。この蝋燭かソーセージみたいに見える物体は、ぶどうの汁を固めて中にナッツを入れたお菓子で、見た目に関わらず砂糖控えめで結構美味しい。チーズは外が燻製されていて思わず唸る美味しさ。酒好きにはたまらないおつまみになりそう。

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バザールの奥の金物屋さんではソビエト時代のデッドストックのホーロー食器を見つけて、全部買いたくなってしまった。我慢して二つだけ買った。市場の外に出ると日差しはさらに強烈になっていたので、リトアニア人から教わった郊外の鍾乳洞に涼みに行くことにした。プロメテウスの洞窟と呼ばれる鍾乳洞は常に気温が14度を維持していて、暑さから避難するに最適な場所だった。中はカラフルにライトアップされていて世界第二の大きさを誇る洞穴を堪能した。

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その晩夜行バスでトルコに戻ることにした。丁度今晩バスが出るというのだ。グルジアの滞在が長引いたけど、まだトルコの黒海地方などイスタンブールから飛行機に乗る前に行きたいところがあった。朝ホステルを出た時は、今日出る予定ではなかった為荷物をドミトリーに広げっぱなしだった。夕方戻ってから女主人に今晩行くと言うと、1泊分の宿代を請求された。彼女の主張は私がベッドを夜まで占領しているから、他の客が入れられなかったというものだった。

「すみません、でもここはニューヨークやロンドンじゃないんですよ」と私は反論した。「勿論いくらか余計に支払うのは構わないけど一泊分請求するのはおかしいんじゃないですか。だって今他に誰も泊まってないじゃないですか。」強気の主人は一向に首を縦に振らず、結局私は全額払う羽目になった。

グルジア人のこういうところが苦手だ。観光客の居ない閑散とした時でも、まるでオンシーズンのように強気で田舎のくせにどこかの大都会スタンダードを持ち込んでお金を絞り取ろうとするのだ。そのたび私は「身のほど知らずめ」と罵ってしまう。他の国でこんなに融通が効かないことはないのに。勿論こういう人が全員ではないけど、結構多く、国の印象を悪くしている。

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夕飯を食べてからアリョーナに別れを告げた。20日も一緒に居たので離れるのは寂しかった。今まで一緒に旅した期間が一番長い友達だ。それまで私のロシア人の印象は冷たくて心を閉ざしてる人たちだったので、彼女とこんなに仲良くなれて大分印象が変わった。彼女のおかげでロシア人のメンタリティや文化や最近の政治的背景など少し分かるようになった。彼らがいつもにっこりともしない理由も、ロシアでは「意味も無く笑うのはバカの証だ」と考えられているかららしい。

それにアリョーナが小さな子供の頃から果物売りの親の仕事を手伝っていることに感心した。日本や欧米以外の国では、幼い頃から仕事を任されたりするのが一般的だ。それを先進国は「児童労働はよくない」と批判するけれど、当の子供たちは仕事を持っていることを誇りに思っている子も多いことを知った。「小さくても自分の食い扶持は自分で稼ぐ、それに何だか家族の中でも認められたような気がして嬉しいものだったのよ」と彼女は述懐した。

アリョーナに見送られて道に出ると私はまた一人になった。途方も無く一人ぼっちになった気がした。

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バス停では同じバスに乗る予定の若いグルジア人の女の子と出会った。父がトルコ人だという彼女の容姿はエキゾチックで、ひとつ質問に答えるたびに輝く笑顔でにっこり微笑んでくれた。彼女と大した会話をしたわけじゃないけれど、その優しい雰囲気にとても心が和み、最後に良い印象でこの国を出られることが嬉しかった。

この後降りかかる災難のことなど露知らずに午後十一時、私はトルコ行きのバスに乗り込んだ。

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(中古のバーニーのぬいぐるみがボジョルミの射的の景品として飾られていた。懐かしい90年代初期のアメリカの思い出。)

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