アルメニア~エレバンの愉快な仲間たち~

飛行機は4時間くらいでアルメニアの首都エレバンに着いた。写真家のロモロたちと車をシェアして市内まで行く約束をしていたが、私のアライバルビザ取得に思ったより時間がかかり、ゲートを出た後彼らの姿を見つけることが出来なかった。タクシー代を節約するため夜が明けるのを待ち、始発のマルシュルートカと呼ばれるミニバスで市内に向かった。

道中ごみ収集車を見た。日本と違って近所の決めた場所にまとめて置くということをしないので、車は10メートル置きに停まり、袋にも入っていない地面に直接積み上げられたごみの山をスコップですくってトラックの荷台に放り入れるという途方に暮れる作業を一人の人がしていた。どんなに腕が痛くなることだろう。効率も機械もない、発展途上さを感じた。

事前に目星をつけていた宿は市の中心地にあり、朝食付きで洗濯機も使い放題で900円くらいだった。ロシア以来ずっと物価が高い国ばかり周っていたのでようやくほっとした。宿にはイラン人の先客がいて少し厄介な男だった。日本で働きたいのだがビザを発行してくれないかと聞いてきた。私が一人旅をしていることを聞くと、イランに来れば僕は家を持っているから君と結婚してあげても構わないと言い、丁重に断るとかなり憤慨した。一日中追い掛け回して来そうだったので、銀行に行くふりをして逃げた。

宿はアパートの中にあり、アパートの階段には夕方になると八百屋が来る
宿はアパートの中にあり、アパートの階段には昼間だけ八百屋が来る
自炊派バックパッカーには有難い
自炊派バックパッカーには有難い

エレバンの観光をする前に見ておきたい場所があったのでまたマルシュルートカに乗った。マルシュルートカとはロシア語でミニバスという意味で、旧ソ連圏のアルメニアではロシア語の言葉がたくさん残っていた。私がロシアで覚えた数少ないロシア語もいくつか役に立った。エレバン駅の前で降りて調べた道順を辿るとスムーズに見つかった。「リダの家」と呼ばれる、アルメニア人のリダおばあちゃんが経営する宿だった。宿と言ってもおばあちゃんの家の空いた部屋にベッドを並べただけで、シャワーすらないので公衆シャワーに通わないといけなかった。

それでもリダおばあちゃんの人柄と日本円にして350円という破格の宿泊費に誘われて日本人のバックパッカーが大勢集まる有名な日本人宿になっていた。何年か前に日本人旅行者がこの辺りでは珍しくない民泊交渉をしてリダおばあちゃんに泊めてもらったのがきっかけで、看板もなければガイドブックにも載っていない非正規の宿なのに、口コミで広がったようだった。

何故最初からここに来なかったかというと日本人宿が苦手だったから。せっかく旅に来ているのに日本人同士でつるむなんて本末転倒だし、日本人相手だとこちらも気を使わずにはいられない。そこに年齢だとか職業だとか加わると、とてもフラットな気持ちで付き合えない気がして今までずっと避けてきた。でも「リダの家」に泊まった旅行者のブログなどを読む度に行ってみたい気持ちが湧いてきて、様子を見に来ることにした。庭のゲートをくぐるとそこには写真で見たことのある優しい顔をした小さなおばあちゃんが迎え入れてくれた。おばあちゃんは英語が一言も話せなかったが、意思疎通し部屋を見せてくれた。小さな部屋にベッドが3台並び、本棚や壁にかかった置物を見ると本当におばあちゃんの家の暖かさがあった。

リダおばあちゃん
リダおばあちゃん
私が泊まった地下室。上の階にある部屋はもっと雰囲気がいい
私が泊まった地下室。上の階にある部屋はもっと雰囲気がいい

やがて日本人のヨシ君が現れた。ヨシ君は22歳で春に大阪の大学を卒業したあとグルジア語を勉強するために隣国のグルジアに来た。グルジアのビザが切れるため、一度更新するためにアルメニアに来ていた。ヨシ君はアルメニアに入国する際、間違えて1ヶ月の観光ビザではなく何故か3ヶ月用の高いビザを発行してもらったようで、アルメニアにはもう用がないのにビザの元を取るために3ヶ月滞在している不思議な男の子だった。とても面白い子で、リダの家に住み着いていた野良猫を逃がしてしまったことに責任を感じ、宿に居辛くなって森で野宿したり、地下鉄の始発駅から終点駅まで繰り返し乗って仮眠したりしていた。特技は十カ国語ラップで、ユーチューブに上げた動画が5万回のアクセスを記録したことが自慢だった。彼の夢はラッパーとして成功し、グルジアに住んで美しいグルジア人の女の子と結婚することだった。エレバンの情報にも詳しく、安いスーパーや美味しい食べ物などを教えてくれた。私はそんなヨシ君がすっかり気に入り、明日からここに移ってくることに決めた。

アルメニアはすいかが安い。一つ100円くらい
アルメニアはすいかが安い。一つ100円くらい
道端ではよく薔薇が山積みで売られていた
道端ではよく薔薇が山積みで売られていた

ヨシ君に帰りがてら近くのマーケットを案内してもらっていると、別の宿泊客の耀平君に出会った。耀平君は東京の大学の4年生で、理解ある教授の下ゼミを半年休んで世界一周の旅をしていた。つい先日イランから来たばかりで、私は彼から色々情報を仕入れた。二人と別れてまた中心部へ行き、共和国広場を見学した。

共和国広場はアルメニア特有のピンク色の石でできた建物に囲まれた広場で、真ん中には大きな噴水があり市民の憩いの場になっていた。共和国広場はとても立派で美しく、旧ソ連風でありながらもそれとは異なるエレバン独特の美意識がつまった場所だった。エレバンの街は昔トゥマンヤンという一人の建築家が設計した街で、建物はすべて統一されていた。アジアともロシアともヨーロッパとも違う、独自のスタイルで他にはない特別に美しい街だった。

共和国広場
共和国広場
ピンク色の石が美しい
ピンク色の石が美しい

昼はヨシ君から教えてもらった日本食屋さんに行った。日本人の櫻田さんが今年オープンしたばかりのレストランではさぬきうどんを食べた。こしがあって美味しかった。日本食材の輸入は困難を極めてるようだった。アルメニアは隣国との仲が悪く、百年前にアルメニア人大虐殺を行ったトルコとの国境は今も固く閉ざされていて、今もなお民族紛争をしているアゼルバイジャンとの仲も同様に険悪だった。南に位置するイランは経済制裁を受けているし、北に位置するグルジアもかなり保守的な国で仲は悪くないが、このどこからも日本食に使える食品は流れてこないのだと言っていた。だから魚や寿司はなく、さぬきうどんや親子丼といった現地の食材で作れる日本食を提供していた。

この旅初の日本食はさぬきうどん
この旅初の日本食はさぬきうどん

宿に戻るとリトアニア人のヴァイダスと知り合った。彼は完全陸路でユーラシア大陸を横断中で、主にヒッチハイクで移動していた。所持金はなんと20ドルしかなく、イランでビットコイン500ドル分を現金に交換するまでかなり切り詰めた旅をしていた。20ドルしか持たずに旅行するというのは私には出来ないと思った。勿論お金が全てではないけれど、お金があると安心する。毎日誰かに食べ物をもらったり泊めてもらうのは大分気が引ける。

彼は今までの旅で、いかに笑顔でいることや優しい言葉を使うことで多くの人から食べさせてもらったり、車に乗せてもらったり、泊めてもらったりしたことか分からない、笑顔や言葉のパワーってすごいよと熱く語った。それを聞いて感心すると同時に私は複雑な気持ちになった。私にとっては自分より貧しい人の好意を期待したりアテにして旅することはあまり良いこととは思えなかった。だって私たちが貧乏旅行をしているのは自分で選んだ道だから。自分の国に戻って働けばすぐに毎月何十万か稼ぐことができる。もし向こうからの好意で食事や宿泊を提供してもらったら私はそれを有難く受け取るけれど、こちらから何かを恵んで下さいと少ないお金で暮らしている人にいつもお願いするのは何か違うんじゃないか。勿論お願いされた方は快く色々なものを提供するだろう。貧しい国ではおもてなしを先進国以上に大事にしている人が多いし、その国を代表してるっていうプライドもあるかもしれない。けれど旅をしていると他人の好意を受けることに慣れてしまって、すぐにそんなこと忘れてしまう。旅が長くなればなるほど、人に対する感謝の気持ちって自国に居た頃に比べて薄くなっていくものだと思う。

彼が明日イラン大使館でビザを受け取ることを聞いて、私も着いていくことにした。他にロシア人のマリナやフレンドリーなイラン人も同室になり、夜は遅くまで皆でおしゃべりした。翌朝はヴァイダスとマリナと3人で宿の隣にあるカスケードという大きな丘に続く階段を見学した。

ヴァイダスとマリナ
ヴァイダスとマリナ

カスケードの地下は美術館になっていて、階段を上って上まで行くとアルメニア人の心の拠り所とされるアララト山の雄大な姿が目の前にそびえた。アララト山はしかしトルコ領にあり、アルメニアから行くことは出来なかった。パスポートのスタンプの絵柄になるほど有名な山が、自分たちの忌み嫌う国にあって目の前にあっても行くことが出来ないなんて、アルメニアの人はどんな気持ちなのだろうか。

数日後にフードコートに昼ごはんを食べに行った時、ピザ屋で働くアルメニア人の女の子と言葉を交わした。彼女に今までどんな国に行ったか聞かれて、「去年トルコに行ったよ。すごく良い国だった。」と答えた時の彼女の悲しそうな瞳が忘れられない。「トルコはね、本当にひどい国なんだよ。何の罪もないアルメニア人を百万人以上も殺したの。」彼女からエレバン市内にあるアルメニア人大虐殺記念館を訪れることを勧められたが、記念館は来年2015年に虐殺から100年が経つことを記念した大きな展示会の準備の為、今年一年は閉館していた。

カスケードの上に行くと大きな道が通っていてそこから街の別の地区に行くことができた。

どことなく旧ソ連風の展示作品
カスケードから望むアララト山
カスケードから望むアララト山

イラン大使館は歩いて30分くらいのところにあり、中ではスカーフを被らないといけなかった。エレバンでイランのビザが取得できると知らなかったので、私は職員に色々質問した。ヴァイダスは無事にビザのシールが貼られたパスポートを手に入れて嬉しそうだった。

無事ビザをゲットして大使館前で記念撮影
無事ビザをゲットして大使館前で記念撮影

私が宿を移ることを話すと、彼もそんなに安いのなら移りたいと言い荷物を持って一緒に地下鉄に乗った。リダの家のベッドは昨日到着した日本人のバックパッカーたちで満室になっていたので、リダの家の居間に布団を敷いて寝かせて貰う事になった。

リダの家の居間。とても落ち着く
リダの家の居間。とても落ち着く

日本人の旅行者がチョウザメを買ってきて調理していたので、私たちも食材費を出して手伝い一緒に食べさせてもらうことになった。10数人の日本人で囲む食卓は日本に戻ったようだった。私は久しぶりに日本語で話しながらも、言葉が分からないヴァイダスに申し訳なく思った。チョウザメはやわらかくて美味しかった。

リダおばあちゃんは言葉が通じなくてもいつも優しい微笑を浮かべていて、唯一知っている日本語でアリガトと何度も言った。おばあちゃんの家の居間はとても落ち着いて、柔らかい布団でぐっすり寝た。翌朝ヴァイダスは、今晩は宿代を節約するためテントで公園泊すると行ってリダの家を出た。

朝ごはん代わりにぶどうを食べているとヨシ君がパンを分けてくれた。彼はパンが大好きで、夜遅くにスーパーへ行きタイムセールで半額に下がったお惣菜パンを買うのが日課だった。そして美味しいパンを見つけては「これ、いくらだったと思います」と聞いて私たちを驚かせることに快感を覚えていた。嬉しそうな顔をして1キロ200円で買ってきたパンの袋を抱えるヨシ君を見ると、なんだか母親と一緒にいるようで妙に落ち着くのだった。

リダの家のすぐそばに野菜市場がある
リダの家のすぐそばに野菜市場がある
焼きたてのパンを買うこともできる
焼きたてのパンを買うこともできる
優しくていつもおまけしてくれたおばさん
優しくていつもおまけしてくれたおばさん

私は一人で市内を散策して、夜はヴァイダスと元居た宿で夕飯を食べた。また宿に泊まっていたグルジア人のザザとその彼女のヤナというチェコ人のカップルに出会い、一緒に話している間ザザが明後日グルジアに戻る際に一緒に車に乗せていってもらえることになった。グルジアにはアルメニアのあと行く予定でいたし、地理状イランに行く際にはまたアルメニアを経由することになるしこのチャンスは有難かった。ザザと連絡先を交換して、リダの家に戻りもう1泊した。

オペラ劇場で練習中のバレリーナを見た
オペラ劇場で練習中のバレリーナ

翌日はもう一軒気になってた宿を見に行った。ヴァイダスが1週間前に泊まっていたという宿で、中心部からは離れているがプールやサウナが着いていて600円とこれまた破格の宿だった。リダの家も良かったがシャワーを浴びれないことやトイレが一つしかないことが不便で最後の1泊だけ移ることにした。普段は一つの宿に落ち着き、転々と変えたりすることはないのだけれど、気分転換にもなり悪くなかった。

リダの家で同室だった雄介君も誘った。雄介君は私と同い年で同じく会社を辞めて、もう1年半も世界一周していた。雄介君はロンドンで「治験」と呼ばれる新薬の開発のための実験台を何度かしていて、数ヶ月で何十万も稼いでいた。昔からバックパッカーが資金稼ぎする方法の一つとして有名な手段であることは知っていたが、実際に経験した人に会うのは初めてだった。リダの家では他の旅行者から質問攻めになっていて、ヨシ君は「治験さん」と呼んで慕っていた。新しい宿に落ち着いたあとは、水煙草をふかしたりフリーマーケットを冷やかしたりしながらのんびり過ごした。

新しい宿で自炊する。左が雄介くん、右が耀平くん
新しい宿で自炊する。左が雄介くん、右が耀平くん
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週末のフリーマーケット
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可愛い陶器。ロシアのものかな。
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細工が美しい灰皿。イランのものか
手術用具なんかも売っている
手術用具なんかも売っている

4人で昼ごはんを食べてからザザとの待ち合わせ場所に行った。ヨシ君がザザとヤナの前でグルジア語ラップを披露した時の二人の表情がとても面白かった。

攻めますねぇ
攻めますねぇ

私はてっきりヤナもグルジアに向かうものだと思っていたが、彼女は仕事先のモスクワに戻った。しかも二人はカップルではなかった。ヨシ君たちに見送られてザザと車に乗り、地図と格闘しながらエレバンの外に出た。途中にあるセヴァン湖という湖で車を止め、しばらく散歩した後お礼に夕飯をご馳走した。

さよならクルーたち
さよならクルーたち
道中、モンゴルでお世話になったロシアンジープに遭遇する
道中、モンゴルでお世話になったロシアンジープに遭遇する
セヴァン湖
セヴァン湖
湖畔には誰も居なかった
湖畔には誰も居なかった
風が強すぎて木が斜めに生えている
風が強すぎて木が斜めに生えている

毎日自炊していたのでアルメニア料理を食べたのは初めてだった。シャウルマと言う串であぶったつくねはほっぺたが落ちるほど美味しかった。全く綺麗とは言えないうら寂れたレストランだったので全く期待していなかったが良い意味で裏切られた。

思い出すだけでよだれが出そう
思い出すだけでよだれが出そう

暗い山道をひた走り、国境を越えてグルジアの首都トビリシにあるザザの実家に着いたのは深夜過ぎてからだった。

深夜の国境越え
深夜の国境越え
いざグルジアへ
いざグルジアへ

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