サンクトペテルブルグを夜の10時半に出発したバスは、ロシアの国境に1時頃着いた。出国はスムーズに進み、国境を歩いて越えた。待っていたバスにまた乗り込み、真空地帯を走ったあとエストニアの国境に着いた。バスの中に入国審査官が入ってきていくつか質問した。何で一人で旅をしているのか。ヨーロッパのどこに向かっているのか。何で帰りの切符を持っていないのか。旅行保険には入っているのか。きっと私がヨーロッパに不法滞在しようとしていると思ったに違いない。日本人の女が夜中に一人でこの国境を越えるのは珍しいことなのだろう。
「チェコで友達と会う予定なんです。これがエストニアからチェコまでの航空券、これがその友達の連絡先です。まだいつ帰るのか決めてないので航空券を買っていません。1ヵ月後には東京に帰る予定です。旅行保険証ならここにあります。」世界一周しているなんていうと、ややこしいことになると思ったのでそう言った。現に「1ヵ月後に東京に帰る」以外は全部本当のことだった。審査官は保険証などをチェックした後、納得し全員のパスポートを回収してバスを出た。30分してまた戻ってきて、私だけ外に呼んだ。そしてトランクを開けて荷物を出すように言った。言われるがまま荷物を下ろした直後、バスは走り去っていった。
完全に呆気にとられている私に審査官は「ついてきて」と言って建物の中に入っていった。地下にある部屋に通された。「ちょっと待って下さい。バス行っちゃったじゃないですか。私のパスポートに問題があるんですか」室内には審査官が5人いた。バスの中で私に質問した女性に尋ねると「ちょっと確認したいことがあるからそこに座って」といってボスを連れてきた。ボスは40代くらいの男性だった。「君は去年イタリアに行ったようだね。この旅の目的は何」と聞かれた。しまった、と思った。私は去年会社の出張でイタリアに行った。初めて行くヨーロッパはすべてが美しくて心の底から魅了された。しかしイタリアの空港で押されたスタンプはインクが擦れていて押してあるのかどうか分からないくらい薄かった。このままだと他の国のスタンプが上に押されてしまうかもしれない、私はそう思い上からペンでなぞった。そんなことしたらまずいんじゃないかということは分かっていたけれど、その後どの国へ行っても問題にはならなかった。しかしそれも今日で終わりのようだった。
「イタリアには仕事で行きました。」あえてスタンプのことは黙っていると何月何日から何月何日まで行ったのか、仕事は何をしている、会社の名前と住所は、親の連絡先は、所持金はいくらだと次々と質問された。そして更に別室に連れて行かれ、女性3人に囲まれて身体検査を受けたあと荷物をくまなくチェックされた。粉洗剤を入れている袋を取り上げられて「これは何だ」と言われたときはちょっとおかしかった。覚せい剤だと勘違いしたらしい。またアメリカドル20ドルが入った巾着が見つかり、「これが所持金のすべてか」と聞かれた。「お金は全部ネットバンキングの口座にあります、必要だったら残高を見せます」というと若い男の審査官が出てきてこう言った。「いいか、問題は所持金の額じゃない。問題はイタリアのスタンプだ。君はスタンプを偽造したな」頭が真っ白になった。
「違います、これは本当のスタンプなんです。擦れそうだったので上からなぞっただけです。入国記録を確認してください」男は他の審査官たちに指示して、色々な機関に電話させた。バスから下ろされた後2時間経ってようやく、「最初偽物のスタンプだと思ったから君をバスから下ろしたが、君の入国確認が取れてその疑問は払拭された。但しいかなる場合があろうとパスポートへの書き込みは犯罪だ。私たちは君を逮捕することも考えたが、今回は悪意がないため釈放する」と言った。私はどっと疲れた。この間強制送還されたらどうしよう、と終始緊張していたがまさか逮捕の可能性もあったなんて。審査官は3時間後のバスでタリンへ向かうように言い、私はそれまで椅子に座って待機した。自分の浅はかさを呪いながら暗い気持ちでタリンに着いた。

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でも一歩外に出た瞬間、心がぱっと明るくなった。アルファベットの看板だ。ウランバートルに着いてからロシアまで4週間ずっとキリル文字の世界で、今まで何を探すにも苦労した。エストニア語だから意味は分からないけど、やっと字が読める!バスを降りて道を尋ねると今度は英語が通じた。しかもロシア人みたいに無表情じゃなくてちゃんと笑顔で教えてくれた。空からは太陽がさんさんと降り注ぎ、ロシアで凍っていた気持ちが溶けていくようだった。宿に着くと周りはヨーロッパ人の若い学生ばかりだった。夏休み最後の旅行をしているのだろう。隣に座っても一言も話さず、ひたすら仲間うちで会話していた。先進国に来たことを実感した。
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朝ごはんを買いにスーパーに行くと棚には新鮮で青々とした野菜がたくさん並んでいた。ロシアには本当にろくな野菜がなかった。しなびていたり、変色していたり、よくこんなもの売れるなってぐらい悪いものしかなかった。そして何を買っても高かった。エストニアはバスで8時間しか離れていないのにこの差はどうだろう。スーパーには焼きたてのクロワッサンも売っていて、物価が安くたったの40円で買えた。レジの人も親切で、私はスーパーしか行っていないのにすっかりエストニアが気に入った。

タリンは非常にこじんまりした町で、3時間もあれば主要な場所は全部まわれた。家々は赤いレンガの三角屋根が特徴的で、教会のとんがった塔からは鐘の音が鳴り響いた。まるでおとぎ話に出てくるような可愛らしい町並みだった。首都なのに全く忙しさは感じず、人に道を尋ねるとどの人も笑顔で親切に教えてくれた。「感じがいい町」とはこのことだった。ゆっくり歩きまわり、ロシアでなくしたメガネも新調した。1万5千円の出費は痛かったけど、これから行く国々の物価を考えるとここで作るのが一番得策だった。
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

夕方は見晴らしのいい高台に座ってパンをかじりながら夕日を見た。翌日もパンを持って公園に行き、誰もいない芝生で日光浴した。バイカル湖以来見ていなかった太陽を思う存分浴びてから、私は空港に向かった。タリンにはもっと長く滞在したかったけれど、私は先を急いだ。これからどうしても会いに行きたい人がいた。
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
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